2017年4月18日火曜日

20年振りの続編という奇手「T2 トレインスポッティング」



前作「トレインスポッティング」も、もう20年前なのね・・・・・・。

そうだよね、公開されたの20代前半だったなぁ。

ヤク中の青春映画という、なかなか斬新な切り口で、原作の小説も読んだはずだけど、・・・・・・漠然としか覚えていない。
続編を見る前に、前作をアマゾンビデオで鑑賞してみましたが・・・・・・、「ヒドイ映画だよ」(褒め言葉)。

主要な登場人物5人のうち、4人がヤク中。
残りの1人は、暴力バカ。

94分の上映時間で、ヤク中の仲間がエイズで死ぬし、ラリって見守るのを忘れていた赤ん坊を殺してしまうし、まったく笑えない状況。

「サッチャー政権による福祉の削減が、こういう絶望的な若者を生んでしまった」という時代背景があるようですが、そういう説教臭いメッセージは、皆無。

「薬物中毒者は治療対象の患者であって、犯罪者ではない」とか、「貧困は個人ではなく社会で解決すべき問題」などというリベラル派の主張をあざ笑うかのような、登場人物たちのクズさ。
「自業自得だろ」と突き放して見れてしまい、同情とかの感情がわいてこない。

最終的には、主人公が仲間を裏切って金を持ち出すわけで、最悪なのに妙に爽快感のあるラストでした。
(アマゾンビデオに公開されているのは、なんだかエピソードが削除されてしまっているような・・・・・。小便を入れたビール瓶を仲間に飲ませて、「小便臭いビールだな」と言わせるシーンや、スパッドと一緒に主人公のレントンが就職の面接を受けるシーンがあったような気がするのだが、何かの映画と混同している? それとも、小説の文章を勝手に脳内で映像化してしまった?)


で、続編。
「T2 トレインスポッティング」。(「T2」と言えば、「ターミネーター2」とかぶるが・・・・)

この手の作品で、リメイクではなく、同じキャストで続編というのは、・・・・・珍しいなぁ。

登場人物たちは、実時間と同じように加齢。

かつては二十前後だった青年たちも、四十前後。
四十才は、「不惑」とも言われますが、・・・・・・みんながみんな、どうしようもないクズ人生を歩んでいる。

「前作だって、クズ人生だったろ?」なんだけれども、躍動する体を持て余す青年期と、体力の限界を知る中年期では、まったく違う。

明らかな対比として、前作では主人公レントンの逃走シーンで幕開けとなっていたが、今作ではルームランナーですっ転ぶことから始まる。

以降も、登場人物たちは、家族に見捨てられて自殺を企図したり、奥様のご接待でも大事な息子様が無反応であったり、若い恋人に捨てられるのではないかと必死になったり。

自分が、彼らと同年齢ということもあって、悲哀が半端ない。

いくらクスリでラリっていても、若者には時間があり、時間があるということは可能性もある。
どんなに悲惨な境遇であっても、どこかに希望が待っているかもしれないと、(嘘でも)想像することができる。
だから、彼らの行動が愚かであれば愚かであるほど、コミカルにもなる(こともある)。

しかし、四十を過ぎても、定職にも就けずにいるというのは、・・・・・もうダメポ。
二十で許されることが、四十では許されんよ。

レントンのかつての恋人・ダイアン。
「1」での設定では、まだ中学生。14才。(設定ね)

レントンは、彼女の年齢を知らずにセックスをしてしまい、「逮捕される」とビビっていたが、女の方は、まったく意に介していなかった。

二十年後の「2」では、彼女は弁護士になっている。(もちろん、レントンとは切れている)
しょーもないことをして逮捕されてしまった友人を助けるべく、その友人の彼女と一緒にダイアンを訪ねるレントン。ダイアンは弁護を引き受けてくれるのだが、連れて行った女のことを勘違いして、「恋人が若すぎる」とたしなめる。(女性は、未成年ではないけどね)

かつて、「年の差なんて」と笑っていた女の方が、「もういい加減、年を考えろ」とあきれているわけで、二十で許されることが、四十では許されんよ・・・・・。

とにかく、こんな感じ。
前作にあった奇妙な清々しさがなく、痛々しい。(まぁ、僕が登場人物たちと年齢が近いので、人によっては、「アハハハ、相変わらずバッカでー」と見れるとは思いますが)

「1」だって、「絆」とか「友情」とかはなく、せいぜい「腐れ縁」だったけど、「2」は、全体として復讐劇・仲間割れ・裏切りの物語だからなぁ・・・・。
しかも、妙に感傷的で、「1」の映像が回想シーンとして多用されるだけではなく、小学生くらいの子供時代も差し込まれて、タフな(自認)男たちの話なのに、なんだか年寄りのジメジメ。

で、ラスト。
全員が「結局、元の木阿弥」。

脱獄中のベグビーは監獄に逆戻り、シック・ボーイは若い恋人に逃げられ流行らないパブで年寄りの相手をするしかなく、主人公のレントンは、・・・・・・父親との和解と言えば聞こえがいいが、単なる出戻り。
(唯一の良心とも言えるスパッドが、どうにか奥さんや子供と和解できそうな気配があり、それは、まぁ、いい意味での「元の木阿弥」なんだろうけど)


「1」では、「退屈な人生が待っている」かもという自嘲的な独白と共に、もしかしたら・・・・・という、ほのかな希望がないわけでもなかった。
少なくとも新天地への飛翔を想起させる終わりでした。

でも、「2」のラストシーンは、列車の壁紙の貼られた子供部屋。

「トレインスポッティング」=「鉄道オタク(鉄オタ、鉄ちゃん)」=「退屈な人生」に、閉じ込められて終わり(あくまでも作品内の登場人物たちの認識であり、鉄オタはつまらない人生を歩んでいるという主張を是認するわけじゃないよ)。

「クズの人間には、所詮、クズの人生」という、至極まっとうな、言うなれば「説教臭い」終わり。
変なファンタジーを見せられるよりは、当然な帰結ではあるのだが、ヤク漬けの「1」よりも、なんとも、悲惨な現実でした。


映画としては、スパッドの「隠れたサインの才能」とか、ちょっと強引なところもあったけど、全体としては、掛け値なしに面白かった。
それだけにツライねぇ・・・・いろいろと。


by カエレバ

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