2016年7月7日木曜日

近くの映画館で「シェーン」をやっていたので見てみました


古いっちゃ、古い


「名作・古典と呼ばれるものは、いつか見ないとなぁー」と思いつつ、いくつかの作品は、いまだに未見。

「さよならジュピター」とか、「宇宙からのメッセージ」を見るくらいなら、本当は、そういう作品から触れるべきなのでしょうが・・・・・。

さて、近くの映画館で、デジタルリマスターの「シェーン」が上映されているので、「この機会に」ということで見てきました。

観客は、平日ですが、15人くらいかな?
田舎の映画館にしては、けっこういましたね。

ほとんどが、仕事はリタイアした感じの六十才オーバー。

そんな中に、一人だけ二十代、それも前半かな? 若い男性もおりました。
渋い趣味だね・・・・・。


で、古い映画なので、アスペクト比が、昔のブラウン管テレビくらい。
音楽の使い方も、ちょっと時代がかっている。

そして、主人公のシェーンなのだが、「イケメン」で、「ミステリアス」だが、「タフ」かつ「ジェントルマン」。それでいて、「ユーモアも解す」「働き者」という欠点のなさ。

今の作品では、ちょっとお目にかかれないようなキャラクター設定。


でも、そういう完璧な人間であるからこそ、父親とは友情で結ばれ、子供には慕われ、奥さんには密かに想われてしまうのだが、家族を壊すことは決してしないわけでして、そこらへんが、「古臭い」というか、「古き良きアメリカ」であったりするもの、作品全体を「さわやか」にしているわけだ。

「カムバック」ではなくて、「グッバイ」


「名作」とか「古典」というものになると、見ていなくても、なんとなく粗筋やラストシーンを知っているものですが、「シェーン」も、「シェーン カムバック」という子供の悲痛な叫びが、あまりにも有名。

そのセリフで終わるのだと思っていましたが、「カムバック」の後に、「シェーン グッバイ」があるのね。(ネットで調べたら、「シェーン カムバック」で終わっているバージョンもあるようですが)

どっちが良いのか? また、どちらが製作者の意図を正確に反映しているのかは分かりません。

主人公のシェーンは、最後の決闘を経て、「銃で物事を解決するような時代ではない」と子供に諭して去っていく。

古き時代の終わりであり、郷愁としての「カムバック」も、惜別としての「グッバイ」でも、どっちでも間違ってはいないわけでして。


なんだけれども、「シェーン」の公開は1953年。もう半世紀以上前。
その時代につくられた映画ですら、「もう銃ではない」というラストなのに、相変わらずの銃社会のアメリカというのも、なんですなー。


シェーン [Blu-ray]
by カエレバ

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