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2018年1月31日水曜日

映画「君の膵臓をたべたい」とか、「四月は君の嘘」「星野、目をつぶって」など



「圧倒的な美にかしずきたい」というのは、人間の本能なのか、ちょいちょい作品のモチーフになったりして、とりあえず代表格は芥川龍之介「地獄変」でしょうか?

で、そのパターンの一種で、「とんでも美少女に振り回される」という物語がございます。

ちょっと前ですと、「涼宮ハルヒの憂鬱」。
最近ですと、「星野、目をつぶって」かな?

現実において、「女性に振り回される」というのは、「金」か「(精神的な)病」が絡むわけで、そして、その背後には「肉欲」というものが厳然として存在して、大変、生臭く、そして痛々しいものです。

これをリアリティ重視で物語に落とし込むと、ドロドロ展開しか生まれないはずなのですが、この「女性」、なかんずく「美少女」に「不治の病」というステータス異常を付与すると、あら不思議、とても崇高な行為に見えてくる。

特に最近の傾向として、男性を「ニュートラルな(または善良な)傍観者、立会人」ではなく、「心を閉ざした問題児」とすることで、女性は、その救済の手助けをする「女神」となり、彼女の「いささか強引な行為」は、「限られた時間しか持たない病人」という設定によって、免罪符が与えられるわけですな。
(「星野、目をつぶって」のヒロインは病気ではないけどね。ヒロインが主人公へ手を差し伸べる行為は、主人公からヒロインへほどこす化粧の報酬であり、まぁ、一方通行ではないあたりが、現代的と言えば、現代的なのかな?)


君の膵臓をたべたい


「君の膵臓をたべたい」ですが、小説原作の「難病美少女モノ」だとは知ってはおりました。
まぁ、この手のジャンルはね、何年にいっぺん流行する周期彗星みたいなもの。
ストーリーは、「こんなところだよね?」という予想の範囲内に収まるわけで、なんなら見てもないのに、「瞳を閉じてー 君を描くよー♪」と曲まで脳内で再生されてしまいます。

でも、「定番ネタだけど、そんなに悪くないよ」という評判を聞いたのでアマゾンビデオで借りて見ましたが・・・・・・、ベロベロに酒を飲んでいたこともあって、最後は、喉が痛くなるくらいに泣けまして、デトックス完了。

以下、ネタバレあり。

お約束「難病美少女モノ」にはしたくないという作者の意図なんでしょうねー、病気以外で死ぬとは。
「病気とか健康とか関係なく、明日はどうなるか全員分からんのだから、日々、一生懸命に生きようぜ!」という素朴な主張なんだろうけど、うん、まぁ、どうせ近いうちに死ぬんだから、そういう処理の仕方もあるか。

ただ、そのおかげで、徐々に弱っていく過程を、長期かつ詳細に描く必要がなくなり、ヒロインの、現実であったら「うざいだろなぁ」という活発さを失わずに済んでおり、だからこそ、喪失との落差を劇的に描くことができているわけで、その点は、まぁ、なかなか上手というか巧みというか。

とにかく、この映画を好意的に評価する人なら、ヒロイン山内桜良を演じた浜辺美波さんの存在感に言及せざる得ないと思います。

「時をかける少女」の原田知世さん、「野性の証明」の薬師丸ひろ子さん(「セーラー服と機関銃」か?)、「世界の中心で、愛をさけぶ」の長澤まさみ・綾瀬はるかさん等々、少女のはかなさをフィルムに鮮烈に記憶させた作品がありましたが、「君の膵臓をたべたい」の浜辺美波さんが、今後、どれだけご活躍できるかどうかは分かりませんが、少なくとも、この作品を見た方には、忘れ難い鮮烈なイメージを残してくれ、そして残っていくのではないでしょうか?


ヒロインが、主人公の男子に興味を抱くキッカケ・過程が、ちょっと無理筋な感は否めないし、そこからのヒロインのちょっかいも(学生時代、女日照りだった)男性にありがちな願望が見え隠れ、まぁ、そこが心地良い部分もあるけど、気恥ずかしくなることもある。

ぶっちゃけ、スクールカースト・トップの美少女と、ボトムの根暗少年の交流という、いかにも、文系な(≒非リア)男子の喜びそうな構図(現実にはねーよ)でして、・・・・・そもそも、「涼宮ハルヒの憂鬱」「星野、目をつぶって」「君の膵臓をたべたい」、どれもこれも、男性の考えたストーリー、その女性像はルサンチマンの結実・・・・・ではなく、まぁ、あれですよ、「圧倒的な美にかしずきたい」という芸術至上主義ということで。


おまけ


以下、蛇足。

脚本家の吉田智子さんって、現在放送中の「わろてんか」の人なのね。

「君の膵臓をたべたい」は、原作未読だけど、浜辺美波さんの演技力もあって、うまく出来ていたなぁ、と思います。

それに比べると、「わろてんか」なぁ・・・・・・。

どうにもこうにも、登場人物の魅力がイマイチ。
さらに、「要らなくなると旅やら、海外に行かせてしまう投げっぱなし」や、「主人公を取り合う二人の男性が、どちらとも幼少期に母親に連れていかれたことがキッカケで、今の仕事を志す」テンプレートなエピソードとか、「王道の嫁いびりに対して、無力な旦那・・・・どころか、無気力とすら思える無抵抗ぶり(男の実家に連れて行かれた主人公、姑に認められないだけではなく、女中にされて、それを主人公の幼馴染に見咎めれ、殴られても、そのまんま)」とか、「それに対して、ニコニコ笑うだけの主人公」とか、「藤井隆さんにしても、「後面を極める」と発言しておきながら、気がついたら夫婦漫才に移行、それはいいにしても、今度は漫才作家として裏方専門になる。本が好きとか物書きの才能があるって描写はあった? 寄席の変遷を、藤井隆さんの役で表現しているのだろうけど、ちょっとは伏線を・・・・・」てな感じで、他にも、「寄席を手に入れる際に、手元に資金がないので、日々の稼ぎの中から、ちょっとずつ返済していける寄席を見つけた、という設定で、それをどうやって手に入れるのか? というお話しで引っ張っておきながら、最終的に、一括でお金が必要になりました。えっ、なら、最初から、どうやってお金を工面しようというストーリーで、よくない?」とか、「そのお金を、勘当された実家に頼み込む」って、しかも、旦那の稼業を潰しておいて、今度は、新規事業、それも「寄席をやりたい」というお願いを、なんだか美談にしたてて、受け入れてしまう主人公の父親。おいおい、「バカ、真面目に働け」って叱れよ、遠藤憲一。キースのアメリカ行きも唐突だったが、舶来ネタをしていたから、一応憧れがあったということに出来ないこともないが、あっさり帰ってきて東京にいるし、で、震災で直ぐに関西に戻ってきて、なんか「アメリカ渡航」が彼に変化を促したとか、そんことはなし、だったら、「東京で腕試しをしたい!」で良かったんじゃないの? なんで、アメリカかませた? ・・・・・他にもいろいろと言いたいことはあるけど、まぁ、人間得手不得手もあるし、百発百中というわけにはいかないよね。

by カエレバ


2017年5月31日水曜日

ネタバレ -「アイアムアヒーロー」を振り返ってみよう-

アマゾン大荒れ

「アイアムアヒーロー」。

大泉洋さん、有村架純さん、長澤まさみさんといった人気キャストで実写映画にもなりました。

2010年代の漫画を代表する作品の一つと、もう言い切ってもいいのではないでしょうか?(連載開始は、2009年みたいですが)


で、先日、無事最終回を迎えたのですが・・・・・・。

最終巻を読み終えた、僕の感想は、「えっ?」。
これで終わったか・・・・・・、と、正直、唖然。(唖然とはしましたが、まぁ、コレはコレでとは思います)

こういう読後感を持ったのは、僕だけではないようでして。

最終巻が発売された「アイアムアヒーロー」の『Amazon』レビューが大荒れ - エキサイトニュース

大荒れになったということは、良く言えば「読者の予想を超えた」、悪く言えば「ファンの期待を裏切った」。

既存の作品にありがちなラストに堕してしまうことはなかったものの・・・・・・・、それだけに、いろいろと問題を内包しているのも事実。


タイトルの「アイアムアヒーロー」。
一巻から読み直してみると、主人公の鈴木英雄は、「アイアムアヒーロー」と何度もつぶやいているんだけど、それは物語の序盤に集中している。

腰抜け、度胸なし、一度は漫画の連載を持っていたが、今は人に使われるアシスタントの身。当然、金もない。

そんな、「物語の主人公」ではあるが、「人生の主人公」とは自認できない境遇が、目標として、「アイアムアヒーロー」と口にさせている。

読者としては、情けなかった鈴木が成長し、紆余曲折を経て「ヒーロー」になるラストが待ち構えていると、どこかで想定(期待)していたのでは?

事実、中盤以降、「アイアムアヒーロー」と口にすることが無くなったのは、圧倒的なカタストロフィの中で、まだまだ不甲斐ないながらも、自らの立ち位置を得たことが影響していると思われ、それは、鈴木の妄想の産物である「矢島」が登場しなくなった&別れを告げたことからも分かる。

その延長線上で、比呂美を救出する為に、危険な東京に戻ることを決意しており、読者としては大団円が待ち構えているのではないだろうかと、当然考えたわけですが・・・・・。

が、結果としては、救い出せないだけではなく、一見すると、「えっ、鈴木、何しに行ったの?」という活躍未満で終わってしまった。

壮大な肩透かし・・・・・・。

ヒロイン


作者の意図はどうあれ、多くの読者からすると、鈴木はヒーローになることなく終わってしまったと感じたのでは?

まぁ、確かに、鈴木の愛した女性が、この物語では三人登場するが、全員がバッドエンド。
ひどい話ではあるが、二人の死を土台にして、三人目の女性を救えたのならまだ救いもあろうが、それすら叶わない。

そもそも、救えなかっただけではなく、一巻で登場する最初の女性:黒川徹子(通称:てっこ)は、ZQN化しても鈴木を守ろうとしており、二番目のヤブにしても、自らの妹を通じて、クレーンの上に追い詰められた鈴木を援護している。

そして、ヒーローを想起させる名前からも分かるように、メインヒロイン、または鈴木のパートナーとしての位置を占めていた第三の女性である「比呂美」。

彼女との出会いによって、鈴木はかつての恋人「てっこ」の遺品(歯)を喪失してしまう。
また第二の彼女であるヤブを間接にしろ直接にしろ手を下したのも比呂美であり、その二つを「継承」と見るか、それとも「断絶」と見るかは人によって違うだろうが、少なくと、彼女が、鈴木にとって特別な位置を得ているのは間違いない。

その彼女は、最終的には、「この男は生きている方が勝手に苦しむから生かしておいて…」という思いでもって、彼をZQN化させて合一することなく、逃がす。

母性による救済、恋人としての温情にも思えるが、その結果として、鈴木は、文明の滅んだ都市に一人取り残され、一方の「比呂美」自身は、合一したZQNたちと一緒になり、動きを止めてしまっている。
作中においては、鈴木が線香を上げているところからすると、生物的な「死」を迎えているようであり、もしかしたら、SF的な飛躍で、新しい生命体として生きている可能性もあるのかもしれないが、少なくと普通の人間が認知、または交流できる存在ではない。

二人の彼女を受け継ぐ、または断絶を図り勝ち残った比呂美から、鈴木は、それが温情にしろ、「拒絶・追放」されてしまう。

そもそも、比呂美は、希死念慮までは行かなくても、自らの人生に、抜き差しならぬ「寂しさ」をかかえた人間。
その「寂しさ」を、鈴木が癒せていたのなら、このような結末は迎えなかったのであるが、まぁーねー、途中で、比呂美を兵器として利用していたもんなぁー。
結局は彼女を救うことは出来ず、その結果として、彼氏である鈴木と一つになることを「拒否」しつつも、その命を「救助」するという、優しくも酷い行為に結実してしまった。

まぁ、この一件からすると、鈴木は「ヒーロー」という境地には到達出来なかったと言わざる得ないわけでして・・・・・・。

ヒーロー


一方で、作品内において、鈴木のライバル的な役割(ライバルというよりは好対照と言うべきか?)を担う、中田コロリ。

鈴木の恋人「てっこ」の元カレであり、売れっ子の漫画家。
才能もあり、女も金も苦労していない、鈴木からすると嫉妬するしかない対象。

ZQNがはびこる社会においても、エキセントリックな性格のまま、その環境に対応してしまっているだけではなく、周囲の人間たちからは頼られてすらいる。

そして、最終的には東京都心から脱出することに成功して、離島で漫画三昧という生活を送っている。
明言はされていないものの、もしかしたら子供ももうけている。
(おばちゃんは、中田に好意を寄せていた半感染の女兵士にいったん飲み込まれることで若返っているから、おそらくは彼女の意思を取り込んでいると思われる。だから、中田の子である可能性は高い)

「ヒーロー」的な役割は、終始変わらないだけでなく、仲間にも(家族にも)、さらには仕事にも恵まれたハッピーエンドを迎えている。

主人公のはずの鈴木とは、真逆。

中田


しかし、単純に「ヒーロー」的な立ち位置を奪われたというわけではないのは、中田自身は、「最後の最後まで鈴木(の作品)を評価している」というところ。

この倒錯関係は、高層ビル屋上における三つ巴四つ巴の最終決戦において、鈴木に奇妙な役割を与えることになる。

鈴木自身もDQNに追い詰められてクレーンの頂上に至るという絶体絶命の危機ではあるが、一方で、向かいの屋上で繰り広げられている、中田派と浅田派、クルス派とその分派たちの戦いに対して、銃による狙撃で介入することになる。

生殺与奪権を得たということは、ある意味、鈴木は、「神の力」・・・・というか「神の立場」を手に入れてしまった。

そこで、「どうせ死ぬなら… 誰かを救いたい…」と言い、屋上で繰り広げられている戦闘の経緯を知らぬまま、そして、戦っている人物が顔馴染(嫉妬の対象)の中田であることも分からずに狙撃をしてしまう。

中田は、お腹の中にあった鈴木の著作物で助かり、さらに、それを白旗の代わりに掲げる。鈴木としては、自らの唯一の単行本が掲示されたことに驚き、次弾を放つことはなかった。

二人は面識がありながら、この一連のシーケンスにおいて、互いを認識することなく終わる。
鈴木の著作物が自らを助けてくれた中田は、もとより彼の才能を認めていたが、この件を経て、いっそう崇敬の念を深くしたと思われる。


鈴木は図らずしも「神の立場」に置かれることになったが、この「アイアムアヒーロー」という物語においては意識的に神格化を謀っていたのが浅田という男。

彼は、浅田教なる宗教を立ち上げて、その経典の執筆を中田に依頼している。
それによって出来上がったものは、鈴木がかつて話していたプロットを元にした漫画であり、浅田は「騙されたってわけね…」とつぶやいている。

浅田の立場からすれば、確かに「騙された」なのだが、存外、中田にしてみると、大真面目に経典として描いていたのかもしれない。

少なくとも、彼は「浅田」と「鈴木」という二人の神を天秤にかけて、「鈴木」を選んだわけで、そのおかげで、都内から離島に脱出することに成功している。
選択としては正しく、だからこそ、離島では、鈴木原案の漫画(経典)を書き続けているわけだ。

まごころを、誰に?


さて、「アイアムアヒーロー」を読み終えて、真っ先に思い出したのは、「エヴァンゲリオン」。それも旧劇場版。
出来損ないの群体として既に行き詰まった人類を完全な単体としての生物へと人工進化させる補完計画。
によって、碇シンジをヨリシロにして、全人類が一つになろうとする。
しかし、「もう一度みんなに会いたいと思った」というシンジの願いで、補完計画は、結局、破綻してしまう。

そして、海岸に残された、シンジとアスカの二人。

彼らだけが「新世紀」のアダムとイブとして世界に産み落とされたのか、それとも、たまたま二人が隣り合って再生しただけでなのかは分からないが、シンジにとっては、もっとも身近な、親しいパートナーとしてアスカ(一部、綾波を取り込んで)が選ばれた。しかし、パートナーというものは、距離が近いだけに、もっとも傷付け合う人間でもあり、だからこそ「もう一度みんなに会いたいと思った」と言いながらも、首に手をかけて絞殺の手前まで行くが、そんな彼に対して、アスカは奇妙な労りで彼の腕をさすり「許し」を与える一方で、また「気持ち悪い」と「断罪」もする。

コニュニケーションの「痛さ」を象徴とするラスト。


で、エヴァンゲリオン旧劇場版の公開から20年、インターネットの普及で、人類は、より国境を意識せず、コスモポリタンな視点を持ち得るのかと思ったら、むしろ個々人はタコツボ化し、社会は分断してしまった。

「アイアムアヒーロー」でも、一つの生命体として合一を図りながらも、旧作の「エヴァンゲリオン」と同じで、主人公は、最終的には「個」として生きることになる。

しかし、「エヴァ」においては、主人公の「希望」としての「個」は、「アイアムアヒーロー」においては、パートナーからの拒絶&温情という処置によって、単に取り残されてしまっただけ。

さらに残酷なのは、そのような事情が裏側にあることを、鈴木は知らない。

同じく、偶然にしろ、嫉視の対象であった中田を救ったことや、その彼から、「神」的な扱いを受けていることからも、鈴木は排除されてしまっている。

そして、1人、文明の崩壊した都市で、孤独を強いられる。

誰に求められるわけでもなく、誰から承認されるわけでもなく、絶望的な世界で一人で、ただただタフに生きていくことだけが必要であり、そして、鈴木の逃避を肯定してくれた「矢島」が出てこないのは、最早、現実を受け入れてしまっている証左。

物語のラスト間際では311の地震にも見舞われるものの、やはり、鈴木は一人で、震災と向き合うしかない。

旧劇場版「エヴァンゲリオン」においては、まだ「パートナー」というものが求められていた。
しかし現在では最早、あらゆる現実は、「世界の理(ことわり)」などとは関係なく、他者など介在させず、ただただ一人で対峙すべきであり、それこそが作者が望む「ヒーロー」なのだろうが、まぁなんつーか、近代が生んだ「寂しさ」は、もうここまで到達してしまったんだね・・・・・・。


2016年6月9日木曜日

「アストロ球団」の感想


怪作


いつかは読みたいと思っていた原作「遠崎史朗」、作画「中島徳博」による「アストロ球団」を、ようやく手にしてみました。

聞きしに勝る怪作でした。

勝てるのは、雁屋哲先生原作の■「野望の王国」くらいかね~。


未読の方に、その「怪」っぷりを語るのは、なかなか難しいのですが、百聞は一見にしかず。
実写化された影像でも、なんとなくは分かると思います。

または、googleの画像検索。(■アストロ球団 - Google 画像検索)

最早・・・・・


一応、ストーリーについて書いておきますと、第二次世界大戦前、来日した大リーガーたちを相手に好勝負をした天才投手「沢村栄治」。

彼は、戦場にて悲劇の死を迎えることになるのだが、その魂は星となり、九人の若者たちに宿ることに。

戦場にて沢村と親しくしていた現地人のシュウロは、日本に来日。

彼の無念を晴らすべく、九人の若者を探すのだったが・・・・・・。


最早、散々にネタにされてしまったので、21世になって、つっこむの野暮ですが・・・・・・。

それにしても、主人公の「宇野球児」が、作品開始早々に「宇野球一」に変名し、同時に「三荻野球一」が「球五」になるという、場当たり的な展開。

九人も登場人物いると、当時のメイン読者である子供には分かり難いという配慮なのだろうが。

しかし、九人集まるのが、最終巻なんだよね・・・・・・。
うーむ。


意味深な描写で、「もしかしたら、彼も沢村栄治の遺志を継ぐものか?」的な描写があった「知念」なんかも、まったく活躍しないで終わってたり、「野球のルールなんか関係ねー」と野球選手が口にしていたり、アメリカへの憎悪で野球をする氏家が大リーグ打倒を目指すアストロ球団にビーンボールを多投とか、監督のシュウロは途中で消えちゃうし・・・・・・やっぱり、ツッコミどころ満載でして。


毎度毎度、負傷者続出。
とてもではないが野球など続けられる状態ではないのだが、「男だろー!」で乗り越えてしまう、お約束展開。

バロン森なんか、最初は卑劣な作戦を駆使するオカマキャラだったのだが、「男だろー!」を繰り返しているうちに、すっかりアストロ球団らしいキャラになってたしなぁ・・・・。


が、これが週刊連載の醍醐味でもあるからね~。

【田中圭一のペンと箸-漫画家の好物-】第13話:『アストロ球団』中島徳博とゆずごまラーメン

物語全体を俯瞰することよりも、とにかく「その場その場の盛り上がり」を重視した結果として、「一話完全燃焼」になったんだろうなぁ。

そして、超絶スポーツものとして「キャプテン翼」や「テニスの王子様」、大仰な熱い語りとして「男塾」などに引き継がれていったんですかねー。

アストロ球団 (第1巻)
by カエレバ

2016年5月14日土曜日

大根仁監督「バクマン。」



大根仁監督の「モテキ」は、テレビも映画も、楽しく見ました。

で、その大ヒットのおかげなのか、漫画「バクマン。」の実写化にも起用され。

「モテキ」のクオリティーからすると、まぁ、大きく外すようなことはないだろうなぁとは思いつつ、なかなか機会がなく。
ようやくネット配信で見ました。

こんな映画


予想を裏切られることなく、長大な原作を、うまーくエピソードを取捨選択して、二時間に収めてました。

ほぼ原作通りのキャラと外観。


担当の服部さんだけ、原作では「現場をある程度経験した有能編集者」でしたが、映画版は、「まだまだ経験不足」という感じ。

まぁ、二時間という短い時間で、あれこれ的確な指示ができる編集者がいたのでは、主人公たちの自律性が損なわれるからなー。
青二才の主人公たちと同じく、彼も成長していくキャラにしたのは、当然と言うか、妥当と言うか。


映像にしても、冒頭における「少年ジャンプ」についての説明から始まって、漫画の描き方や実際に描いているシーン、アンケートシステム等が、CGと実写を融合させて描かれており、、「せっかく映画だしね」という贅沢、かつ分かり易い。

また、ライバルである新妻エイジとのアンケートでの人気争いも、同じくCGを用いつつ、実際のバトルにしてしまうのは、巧み。

音楽も素晴らしく、映像も綺麗、物語のテンポは良く、「モテキ」と同じくエンディングまで趣向を凝らしていて、さすが大根仁監督だったのですが・・・・・・・。

漫画原作の難しさ


が、・・・・・・・映画を批判したいわけではないのですが、物語に無理があるよなぁ。

原作がそうだから、仕方ないんだが。

高校生でデビュー、そのまま週刊連載って、あまりに非現実的。
漫画なら「まっ、いいか」となるのだが、実写にしてしまうと、途端に違和感バリバリ。

せめて大学生くらいなら、「あるか? あり得るか?」なんだろうが、これやってしまうと、原作無視&原作レイプという批判が飛んで来るのは目に見えているし、しかも、亜豆美保との関係性も微妙になってしまう。

そもそも、「主人公の作品がヒットして、アニメ化するまで結婚しない」という二人の現実離れしたやり取りは、高校生が限界だよね。(高校生でも、「ちょっと・・・・」ではあるけど、まぁ百歩譲って)
大学生でそんな夢語っていたら、「ぐーむ」となってしまうもの。


そして、現実に高校生を続けながらの漫画家生活が、主人公の肉体を限界に追い込むわけで、無茶な設定の結果として当然の帰結というところが妙なリアリティだなぁ・・・・・。

まぁさ。ここらへんが、「あしたのジョー」における力石設定(■あしたのジョーの登場人物 - Wikipedia)みたいなもので、マンガの醍醐味・ダイナミズムなんだが、再三再四言っているように、実写化してしまうと、「うーん」。

で、その「当然の帰結」を、ジャンプ三原則の「友情・努力・勝利」で乗り越えたことになっているけど、ぶっちゃけ根性論でして。

対象年齢を考えろ、ということで


原作の「バクマン。」は、ジャンプのアンケート至上主義を舞台にして、バトル漫画のノリを展開させたことが、さすが ガモウひろし先生 大場つぐみ先生でした。

で、多くの少年誌のバトル漫画において、「世界を救わなくてはいけないのに、主人公は子供か少年なの?」というド定番のツッコミがありますが、まぁ、少年誌なんだからあたり前田のクラッカー。
メインの読者を喜ばせなくて、なにが漫画だ。


で、映画にしても原作準拠になるのは仕方ないわけで。

だいたいにして、この映画の想定される観客の年齢層は、学生さんか、原作の熱心なファンだろうから、間違っているのは私の年齢であって、「これでいいのだ ||:3ミ」なんだろうなぁ。



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2016年5月3日火曜日

マンガ大賞受賞「ゴールデンカムイ」1巻から6巻までの感想


以前、ラジオで伊集院光さんが褒めていて、先日、2016年のマンガ大賞を受賞した「ゴールデンカムイ」。

ならばと、読んでみました。

・・・・・・率直な感想としては、もっと「重い」作品だと思っていました。

が、作者の絵柄が明るいおかげで(つまり劇画調ではない、という意味です)、連続殺人犯だってコミカルに。
殺し合いのシーンも残酷には感じられず、作品全体としては、「軽い」というわけではないけど、サクッと読めます。

ザックリとした粗筋


「不死身の杉元」と呼ばれる日露戦争帰りの男が主人公。
かつての想い人であり、親友の妻の眼病を治すには、莫大なお金が必要。
北海道で一攫千金を目指し、砂金掘りをやっている。

が、もちろん、素人が手を出して、簡単に金が見つかる訳もなく。
そんな彼の耳に、アイヌが秘蔵した金塊の噂を耳にする。

で、まぁ、ひょんなことから知りあったアイヌの少女アシㇼパと一緒に、その金塊を探すことに。


しかし、噂を知っているのは、杉元だけではなかった。

北海道を守る第七師団と、幕末からの生き残りである土方歳三たちも、金塊を狙っていた・・・・・。

反近代


で、まぁ、最近のヒット漫画ですから、絵は綺麗で見易いのは、もはや標準。
「金塊の謎解き」「奪い合うアクション」「ちょっとしたギャグ」「動物ネタ」などが、散りばめられていて、言うなれば「暗殺教室」と同じで、幕の内弁当風。
「グルメ」「料理」すら網羅しているのだが、意外にお色気はない。(その割に、チ○コやウ○コなど下の話題は多いな・・・・・。)

アクションにしても、格闘技していたかと思うと、次には、狙撃戦だったりして、なんでもあり。

盛り沢山の内容で、テンポも小気味良く、出し惜しみなし。
三つの集団が金塊を狙って対立というだけではなく、さらに彼らの部下や仲間が、他の集団と通じあっていたりして、人物関係は錯綜している。
それでいて、決して小難しくなっていないのが、上手ですなぁ~。


そんな中で、今作を特別印象深いものにしているのは、物語の端々にあらわれる「アイヌ トリビア」。
主人公の杉元が、かなり年下の相棒、それも女性を、「ちゃん」づけではなく、「アシㇼパさん」と呼んでいることが象徴しているように、単に雑学披露ではなく、アイヌ文化への敬意を伴って紹介されている。

「異文化への敬意」というのは、自然と、現代社会への警鐘が含まれているものでして、今作も、その例に漏れず。
アイヌ文化を紹介すると、自然と、短期的な目先の利益を追求する現代社会(近代)への警鐘がされています。


主人公の杉元。日露戦争の英雄ではあるが、上司を半殺しにして、恩給をふいにしてしまったという人間。
家族は結核で全員を失っており、軍に居場所がないだけではなく、故郷すら喪失。
言うなれば、日本(近代)社会の埒外にいる。

相棒のアシㇼパはアイヌ人だから、当然、和人(近代人)とは違う。

主人公たちと同じく金塊を狙う「第七師団」にしても、日本近代の総決算であった日露戦争における激戦で多くの死傷者を出しておきながら、戦後は割りを食わされている。

土方歳三などは、そもそも幕末期、最後の最後まで、近代社会をつくろうとした新政府軍に反抗した人間。

また、物語の重要なファクターとなる囚人たちはアウトローで、当然、近代社会からあぶれたもの。


こうして並べてみると、三つの集団は敵対し合っているけど、「反近代」という立ち位置は同じなんだよね。

そういう意味では、連帯が出来るような気がしてしまうのだが・・・・・。だいたいにして、杉元が欲しいお金は、全体の金塊と比べたら微々たるもの。
アシㇼパは、金塊が欲しいのではなく、自らのルーツを知りたいだけ。

が、「第七師団」&「土方歳三」、どちらも近代社会を否定したいわけではなく、むしろ乗っ取ろうとしている。

それと比べると、アイヌ文化というのは、近代社会と敵対しているわけではないが、別種の存在。

作中において丁寧に何度もアイヌ文化を紹介しているのは、アシㇼパの属している集団は、根本的に「第七師団」&「土方歳三」たちとは違うことを表しているのだろうけど、さて、杉元は、どうなんだろう?
最終的には、アイヌ人になるのかな?

おまけ


6巻だが、もろ黒澤明監督の「用心棒」だったね。

「この町で 景気が良いのは 棺屋だけよ」なんてセリフは、まんまだし。(なので、元ネタを隠す気はないので、パクったというよりは、オマージュなんだろうけど)

まぁーねー、こうも盛り沢山な作品になってしまうと、どっかからかネタを見つけてこないと、大変だしな。


その直前のホテルの回も、H・H・ホームズの殺人ホテルが下敷きだし。

入ったら脱出不能の殺人ホテル
殺人博物館~H・H・ホームズ


他にも、「脱獄王の白石」は白鳥由栄、「不敗の牛山」は牛島辰熊などの実在の人物がモデルとなっているわけで、他にも僕が分からんだけで、いろいろ元ネタがあるんだろうなぁ。

ここらへんの元ネタ探しも、1つの楽しみということで。




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2016年4月29日金曜日

映画「アイアムアヒーロー」の感想


とりあえず、面白かった


漫画の実写化というのは、当然のことながら、「現代日本が舞台」で、「普通の人」が登場人物なら容易。

「特撮」とか「CG」とか、必要ないしね。


さて、「アイアムアヒーロー」。

原作の時代設定としては、現代日本。

そこににゾンビ(作品では、ZQN)が、大量に発生してしまうという設定。


ぐーむ。


そもそも、ゾンビって、アメリカが本場。

それを日本でやるとなると、漫画の実写化とはまた違った困難が予想されるわけでして。


なんつぅーか、ハリウッドで時代劇つくるようなものでしょ?

「ラスト・サムライ」だって、日本人からして見ると、「まぁ、目をつぶっておこう」という側面は否定できないわけでして、「SAYURI」とか、「47ronin」とか、アレだったぞ!?

漫画なら、作者個人のイマジネーションを奔放に駆使することで、壮大だったり、込み入ったり、特殊な世界を描くことも可能。

が、邦画、しかも、実写の映像化となると、予算も限られるし、さて、どうなんだ? と思ってましたが、結果としては杞憂でした。


人気・実力を兼ね備えた大泉洋さんは、ビジュアルからして、主人公の鈴木英雄にピッタリ。

ヌケヌケと女子高生の比呂美役を演じる有村架純さんは、けっこう似合ってました。

「真田丸」での演技が大不評の長澤まさみさんですが、サバサバした藪の感じが、よく出ている。(*「真田丸」は、そういう脚本だから、長澤まさみさんには罪はないのだが・・・・・)

・・・・・まぁ原作の絵からすると、二人は美人過ぎだが、普通顔の女芸人あたりを起用するのも、「なんだかなー」なんで、これは仕方なし。


ストーリーはテンポよく、メリハリが効いてました。


ネタバレ


詰め込み過ぎで失敗してしまう漫画原作の映画が多い中で、この作品は、「しょーもない主人公の英雄が、一人の男として、女性を守る為に立ち上がるまで」に絞っています。

原作では、ZQNが発生した理由について、なんか哲学的な含意があるような、ないような展開ですが、そこはバッサリカット。

また、英雄・比呂美・藪の、三角関係は描かれず、映画内では擬似親子に近いかな?


シンプルにしたのは成功の秘訣だと思うが・・・・・・、比呂美が完全なZQN化しなかったことについては、まったく説明がないんだよね。

パンデミックによってZQNが大量発生するのは、まぁ、ゾンビもののお約束として受け入れるにしても、物語の肝である比呂美の半ZQN状態は、原作未読の人には、「?」だろうなぁ。

原作既読からすると、別段違和感がない展開なのだが。


で、映画の中で、象徴的に使われていたのが、ロレックスの時計。

言うまでもないことだけど、高価な腕時計。成功者のアイテム。
実際に、英雄と同期の成功した漫画家が腕につけている。

どうにか漫画家のアシスタントで食いつないでいる英雄からすれば、憧れの対象。

しかし、ZQNがあふれる新しい世界が到来。そこでは、高い時計なんて意味はない。

でも、英雄は、ロレックスに固執する。つまりは、古い世界から脱却できてないことが暗に示されている。

最終的には、腕に巻き付けていたロレックスを外して、大量のZQNと対峙するわけでして、まぁ、つまりは新しい人間に生まれ変わった、ということ。


で、この「大量のZQN」。

「どうやって退治するの? 半ZQNの比呂美を使って戦うの? それだと、物語の流れが、ちょっと濁るよね?」と思っていたら、銃によって全部倒してしまうという、豪腕。

「うーむ」とは思わないでもないが、まっ、いいか。


「銃」という、容易に「男根」「男性社会」「男らしさ」「暴力」を連想させるようなものを駆使して、女性を守るという構図自体は、よく言うと「黄金パターン」、悪く言うと「古臭い」。

守る対象の藪は、自らも刃物を持ってZQNと戦うので、決して、か弱い女性として描かれているわけではないのだけれども、しかし、気になる人は気になるかもね。

男性、特に、私のような、英雄に共感ができるような人からすれば、痛快な物語に仕上げってはいるのだが。


アイアムアヒーロー(20) (ビッグコミックス)
by カエレバ


2016年3月5日土曜日

田亀源五郎「弟の夫」1巻2巻の感想

無駄巨乳


「物語」というか、「作品」には、製作者や想定される受容者の願望が詰まっているものです。

で、男性がつくる「作品」、特にサブカルというか、オタク界隈の産出ですと、無駄に巨乳が多い。

格闘ゲームなんかで、男性キャラは筋骨隆々なのに、女性キャラは「やわらかそうなボディ」で、「えらく胸を強調したコスチューム」だったりするのは、よく見かける光景でして。

むくつけき男と対等に戦える女性となれば、ビジュアル的には、「もう、ビキニの必要があるんだか、ないんだが」くらいになっている女性ボディビルダー級の容姿が対等だと思うのですが・・・・・・・。
(参考 ■女性ボディビルダー画像と動画のまとめ - NAVER まとめ)、



まぁーねー、ゲームのメインターゲットは男性。
まして、格闘ゲームとなれば、なおさら。

とすれば、男性キャラは「より男らしく」、女性キャラは「より女らしく」が求められてしまうのは、仕方ないのでしょうが。

(が、あまりに欲望に素直過ぎると、こうなってしまうが・・・・・・。■【UPDATE】『DEAD OR ALIVE Xtreme 3』欧米では発売されず、女性の性的描写が原因か。100万ドルで販売権を買い取ろうとするファンも)

ざっくりとした梗概


で、田亀源五郎先生による「弟の夫」。

残念ながら(?)、今まで、田亀源五郎作品に触れる機会はなく。

西原理恵子先生の漫画内で、触れられていて、「かなりハードなゲイ漫画を描いている方なのね」という知識があるくらい。

なので、ちゃんと読んだのは、こちらが始めて。


ざっくりとした粗筋ですが、双子の兄が主人公。

弟はカナダに渡航し、そこで、カナダ人の男性と結婚。
しかし、不慮の事故で亡くなる。

弟の旦那は、失った相方の思い出を探しに、日本にやって来る。

主人公は、小学生の娘と二人暮らし。
訪日した「弟の夫」に戸惑いながらも、徐々に人を愛することに同性も異性も関係ないのだということを知っていく・・・・・・。


という感じ。

小学生の一人娘は、子供だけに純真無垢、偏見とういものがなく、同性愛や同性結婚について、別段、奇異に思わない。
その一方で、すっかり頭がかたくなってしまっている大人の主人公は違和感を拭えない・・・・・という対比なんかは、まぁ、テンプレ的な分かり易さ。

現代日本における同性愛について概説であり、啓蒙的な筋立てではありますが、登場人物たちの心情も描かれておりまして、説教臭さは、適当に抑えられております。

男性視点からの男性の性的魅力


さて、個人的には、キャラの容姿が、すごく気になりました。

冒頭で書いたように、作品には、発信者と受容者の願望が含まれるもの。

左の表紙の絵から分かるように、主たる登場人物である「双子の兄」と「弟の夫」の、ガタイがよろしいこと。
さらに、主人公なんか、自らの肉体を誇示するが如くの、ピッチピッチの服を着ているし。

では、この筋肉には、なにか理由があるのか? というと、別に。

ガテン系の仕事をしているわけではない。

体を鍛えているのが好きか? というと、一応、スポーツジムに通っているシーンがあるけど、頻繁ではない。

つまりは、特にストーリーに絡まないんですよ。

少年漫画やアニメにおいて、女性キャラが無駄に巨乳であるように、この漫画においては、無駄に筋肉があるよなぁ~。


藤子・F・不二雄先生の「ドラえもん」からして、しずかちゃんのお風呂シーンという読者サービスがあったように、少年漫画ではヒロインの着替えやお風呂、シャワーのシーンはお約束。

で、この漫画においては、ガチムチ男性の脱衣や入浴が丁寧に描かれている。
女性の入浴がワンカットなのに・・・・・・。


少女漫画における男性の描き方って、男性視点からすると、「こいつ、チ○コついているのか!?」と思うこともあります。

が、まぁ、それが、女性が男性に抱く理想像なわけでして。


もちろん、女性からすると、少年漫画における「女性像」というのは、無駄巨乳であることが往々にしてあり、「あぁ、ハイハイ・・・・」なんでしょうが・・・・。
(ゲームですが、女性視点からすると、こういう感想になるよね。■批評家「なぜみんな女性キャラのお尻を包み隠さず描くの?性的に描写されればそれだけキャラに共感しづらくなるのに」 _ ユルクヤル、外国人から見た世界)


で、本作「弟の夫」。

ここかしこに作者の「好み」があらわれているわけでして。

「異性愛者の男性が描く男性」や「女性作家が描く男性」とも違った男性となっている点が、なんとも新鮮でした。

弟の夫 : 1 (アクションコミックス)
by カエレバ
弟の夫 : 2 (アクションコミックス)
by カエレバ

2016年2月29日月曜日

「健康で文化的な最低限度の生活」1巻から3巻の感想

日本国憲法にある「健康で文化的な最低限度の生活」という文言をタイトルにしたことから予想がつくように、生活保護をテーマにした漫画。

主人公の「えみる」は、社会人一年生で、初めての仕事として福祉事務所に配属される。

頼れる先輩、有能な同輩、問題を抱えた受給者などなどと接していくうちに、えみるは、生活保護の実態を学んでいくのであった・・・・・。


ここらへんの、読者とペーペーの主人公が一緒になって、テーマを学んでいくというのは、お仕事漫画のお約束。

絵は、以前、スピリッツで連載していたころは、エロい漫画(「花園メリーゴーランド」)で、泥臭かったなぁ。
こちらは、すっきり見易くなっております。(前作は、敢えて泥臭くしていたのかもしれませんが)

展開も丁寧で分かり易い。


・・・・・題材が題材ですからね。丁寧に描かないと、えらいことになるからなぁ・・・・・・。


又聞きも含めて、実際に福祉事務所で、生活保護関連の仕事をしていた人のお話を聞いたことがあります。

ぶっちゃけ、「社会的な弱者を助けるというと綺麗に聞こえるけど、そんな甘い仕事じゃないないよ」てなことを述べておりました。

高校の同級生は、お金でもめたらしく(細かい理由は聞いてませんが、支給を打ち切ったようです)、その後、つきまとまわれて、心身に危害を加えられるのではないかと怯える生活が続いたと言っていたなぁ。


まぁ、その、どうしたって、「どうにもならんな」という人は、いるわけでして。

ネットやら雑誌やらですと、ここらへんの「どうにもならんな」という事例が取り上げられて、「ほーれ、生活保護受給者っていう奴等は、アレなんだよ」という論調になりがちなのは、人の世ですから致し方ないこと。


で、「健康で文化的な最低限度の生活」ですが、決して「絶対的な弱者 = 善」という書き方はしていないし、また一方で、「税金で食わしてもらっている人(生活保護受給者)が悪い」にも寄ることはない。

「いろいろな事情をもった人間」として、マンガらしく時にコミカルに、時に同情的に描いている。


丁寧に取材をしてつくられているのが読んでいて分かるタイプのマンガですので、実際のところ、「こりゃ、どうにもならん人だな」というエピソードも、たくさん集まっているんでしょうけど。
まぁそこらへんを書いても、ある種の人々の溜飲を下げるような内容にはなったとしても、建設的とは言い難いからねー。


で、「いろいろな事情をもった人間」に対して、生活保護というシステムは、所詮、システムなわけで。

万能ではなく、限界がある。

「いろいろな事情をもった人間」と「システムの限界」に、葛藤が生まれ、そこの物語の生まれる余地があるわけでして。

そこらへんが、うまーく融合されて話は展開するので、物語を楽しみつつ、生活保護についても自然と学べるようになっていました。

[まとめ買い] 健康で文化的な最低限度の生活
by カエレバ

2016年2月21日日曜日

映画「オデッセイ」は、「アポロ13」と「サバイバル」成分で出来上がっている



今冬、前半の大作は「スター・ウォーズ」ですが、後半は、この「オデッセイ」では?

で、見てきました。

ざっくりとした感想としては、タイトルに書いた通りですが、トム・ハンクスさん主演「アポロ13」と、さいとう・たかを先生の「サバイバル」を足して2で割った、と言うよりは、1.75くらいで割った感じ。

うまく融合していたと思いますけどね。





さて、ストーリー。

火星に一人で置いてきぼりの主人公は、いろいろな難題に直面。

でも、持ち前の知恵でもって、解決。

徐々に生活は上向いてくるが、ほどよいタイミングで、これまで築いてきた環境が破壊される。

が、破滅的ではなく、「ほどよく」破壊されるのは、まぁ、お約束ということで。


二年前の「ゼロ・グラビティ」も、宇宙での事故から生還するお話し。

ひどく暗い主人公でしたが、「オデッセイ」の主人公は、むしろ陽気。

「そんな状況下で、よく冗談を言っていられるな!?」と思うくらいに、陽気です。

また、地球にいる家族や友人との関係性を、ばっさりカットしているんですよね。
そういう描写が、ほとんどない。

湿っぽくならない為の配慮なんだろうなぁ。


また、悪役らしい悪役もいなくてね。

NASAの長官が、ちょくちょく邪魔をするけど、組織の長として理解できる程度の邪魔。

宇宙開発のライバルである中国も登場するけど、あくまでも救世主。

ちょっと小馬鹿にするシーンはあるけど、基本としては善玉として扱われている。(ハリウッドにとって、中国市場は大切だからね)


というわけで、映画全体としては、切迫感や悲壮感が薄い。
安心して見られるのだが、・・・・・・サバイバルを主軸にした物語では必要不可欠なはずの、ひりつくような孤独感はなかった。


なので、火星やら宇宙船、居住空間などは、ハリウッド大作らしい完璧な絵なのに、物語全体には、なんかリアリティがなくてね。

「カラッとしていて、いいじゃない?」と評価できるのだろうが、・・・・・・数ヶ月したら、内容を、すっかり忘れてしまっていそうだなぁ。

プロジェクトX的な物語が好きな人は、気にいると思います。


火星の人〔新版〕(上) (ハヤカワ文庫SF)
by カエレバ