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2015年8月2日日曜日

文化系トークラジオ Life「いまヤバい!人文社会系」外伝の感想

「いまヤバい!人文社会系」外伝の 感想になります 感想になってません。

文化系トークラジオ Life「いまヤバい!人文社会系」本編の感想


いきなり、東浩紀さん登場。
司会の鈴木さんと、サシでおしゃべり。

「他の人も、どうですか?」と、鈴木さんから促されても、なんだか、皆さん入りづらそうでした。

とにかく、二人とも、話していて、大変楽しそう。

で、ポンポンと会話が弾む。
けど、二人は分かっているけど、こっちにしてみると、なんか流れが、よく分からないぞ、という感じもなきにしもあらず。
(まぁ、単純に、私の理解力、知識力の問題でもありますが)


そんな中で、印象的だったのは、東浩紀さんからの「思想は金にならん」というお話。

まーねー、金にならないから、大学というシステムで教えるしかないわけでして。

金になるなら、企業が参入してくるよね~。


しかし、昨今の流れからすると、最終的には、公立では、旧帝大くらいにしか人文社会系の学部は残らないのかな?

正直、それが良いのか悪いのか、よく分かりません・・・・・・。

四年もかけて文学なんか習うよりは、資格の一つでも取得している方が、役に立つもんなー、実際のところ。


さて、まぁ、本編の冒頭で「百田尚樹」さんの名前が、人文社会系のヤバい人として挙げられ、「もしかしたら、語るかも」と言って、結局は触れずじまい。
外伝も、「百田尚樹」さんの名前は、再び持ち出されるものの、ほとんど素通りでした。


・・・・・百田さんって、ユニークだもんね。(小説は未読、映画も見てないです)

どこまで安倍首相や自民党内からの推薦なり圧力があったのかは不明ですが、NHKの経営委員になれたのは、やっぱり、政権側(自勢力側)に近い考えを持っているからでしょう。

NHKの経営委員として、局内の偏向(と、ある種の人が感じている傾向)を正せなくても、これ以上は、曲げないで欲しい、その役割を、この人ならやってくれるに違いない! という期待があっての要請だったと思われます。

が、NHKの経営委員という微妙なお立場であり、籾井会長が就任会見の船出から沈没寸前にまで追い込まれたのを見ていながらも、都知事選では非自民党の立候補者を応援するという、二重三重に自由な振る舞い。

百田尚樹氏、NHK経営委員退任へ

そりゃ、自民党内からも異論も出るわな。


これで自民党とは縁が切れたのかな? と思っていたら、「文化芸術懇話会」に、呼ばれまして。

wiki 文化芸術懇話会

自民党内の安倍首相に近い議員の勉強会と言われております。

そこで、
  • 「沖縄の2つの新聞は潰さないといけない」
  • 「あってはいけないことだが、沖縄のどこかの島が中国に取られれば、目を覚ますはずだ」
  • 「米兵が犯したレイプ犯罪よりも、沖縄県全体で沖縄人自身が起こしたレイプ犯罪の方が、はるかに率が高い」
  • 「もともと普天間基地は田んぼの中にあった。そこを選んで住んだのは誰やねん」
  • 「沖縄は本当に被害者やったのか。そうじゃない」
  • 「くそ貧乏長屋。とるものも何もない」
  • 「アイスランドは年中、氷。資源もない。そんな国、誰がとるか」
てなもんでして、最終的には、「自民党が陳謝した」という流れに。(■wiki 百田尚樹 自民党勉強会での発言)

国民に不人気の「安保関連法案」審議中というナーバスな時期に、敢えて爆弾をぶっ込むという離れ業。


この時期、他の自民党グループにて、小林よしのり氏を招いての勉強会も計画されていたものの、微妙な時期だから中止に追い込まれたと言われております。

小林よしのり氏が安倍首相を嫌っているのは、よく知られた事実。

と言っても、氏が、所謂「保守系の論客」であることには変わらないわけでして、それでも、「なにかあっては、かなわん」とばかりに、勉強を許さなかったのにね。

でも、結局、味方側から撃たれるという、皮肉。


安保法案の衆議院通過で、第二次安倍内閣発足以降、初めて支持率よりも不支持率が上回るという難しい局面になりました。(と言っても、まだまだ、経済が、どうにかなている&他に待望論がまったくないから、乗り切れると思いますけど)

その「難しい局面」が生まれた原因の一端を、応援団であるはずの百田さんが担っているのだから、「ヤバい!」です。


一連の騒動を受けて、百田さんは作家業を引退と宣言。

こんな記事もあったな~。
百田尚樹利権に群がる週刊誌が『殉愛』擁護キャンペーン開始!ネットと全面戦争か!
百田尚樹守るの当然!『殉愛』問題で「WiLL」花田編集長が林真理子批判

どこまで事実か分からんけど、「売れっ子作家」という立場を、自ら封印すると、いろいろとご不便もあるような気がするけど、・・・・・まぁ、ある特定の層には、まだまだ人気があるようなので、多少叩かれたくらいでは食うに困るなんてことは、まずはないだろうけど。


それよりも、
橋下氏、真夏のジョーク!? 「次期市長はたむけんさん、知事は東野さん」 「誰がなろうとも世界に誇る大阪を」
大阪は、選挙が近いですね。

大阪維新の会と自民党で保守分裂、その間隙をぬって、百田尚樹知事が誕生という、横山ノック知事以来のピカっと光るタイプの大阪のリーダー誕生、そして西田敏行さんが局長就任という夢の様な政治状況が誕生したら、すげー楽しいんだけどなぁ~。

・・・・・・まぁ、さすがに、ないでしょうけど。
でも、国政進出は十分にあるだろうね。


さて、文化系トークラジオ Lifeとは、まったく関係のない文章になってしまったよ・・・・。

2015年7月22日水曜日

文化系トークラジオ Life「いまヤバい!人文社会系」本編の感想

もう一ヶ月くらい前にあった放送なのですが・・・・。
今更ながら、感想。

文系の大学・学部は、徐々に縮小していくのかな? という昨今の流れ。

そういう時代を象徴しているのか、「時代を代表するような人文系の人間っていないような・・・」という危機感から、「本当にいないの?」という探求の回でした。


僕のイメージとしては、東浩紀さんくらいなのかな?
現代において、「あの人は、この事件・事象について、どんな考えをもっているんだろう?」と言われうような人は。

別に東浩紀さんが小粒というわけではないのでしょうが、本放送の中で語られた、過去において時代を代表していたような「人文系の人間」と比べると、・・・・・・「狂気が足りない」というか、「アレ感が不足」というか、「物分かりが良い」というか、「常識人」というか。
(東浩紀さんで、とりあえず思い付くのは、クジラックスを評価していたことくらいか?)


業績で語られるべきであって、個人のアレなエピソードで評価するのは間違っているわけなのですが、・・・・・・・しかしながら、三島由紀夫が駐屯地にて自衛官に向かって決起を促す演説をし、志が遂げられず切腹するような生き様に、ある種の「美学」を見出したくなるわけでして。

そして、その美学から逆算して、業績を見てしまうのが、どうしても人間。


本放送では、いろいろと紹介されていましたが、海外にしても、マルクス主義、構造主義、脱構築主義以降は、あんまり「コレ!」という大きな流れはないのかな?

ピケティが、ちょっと流行ったけど、あくまでも個人の業績が、時代の風潮に乗って持て囃されたということで、「世界の潮流を変化させる」「パラダイムシフトを惹起する」ほどではないしな・・・・。

まぁ作家なんかでは顕著だけど、「◯◯派」というくくりができないからね、今は。
(個人個人が、勝手に活躍すればいいのだろうから、それでいいんだろうけどね)


・・・・・・でも、大きな物語というものが構築できない現代と言いつつ、テクノロジーが短期間で地球上の隅々まで行き渡る様を、我々は目の当たりにしているわけでして。

スティーブ・ジョブズ氏のiPodやiPhone、ザッカーバーグ氏のFacebook、もう少し前だと、ビル・ゲイツ氏のウインドウといったものが、ある種、大きな物語として作用しているのかな~と思ったり。

結局、文系は、もうダメポという話しで終わるんかい・・・・・・・。

2015年5月20日水曜日

文化系トークラジオ Life「ポジティブの現在/ネガティブの未来」外伝の感想

ポッドキャストで配信されている文化系トークラジオ Life「ポジティブの現在/ネガティブの未来」の外伝を聞き終えて。

本編の感想。
文化系トークラジオ Life「ポジティブの現在/ネガティブの未来」本編の感想


いまいち、僕の中で、はっきりとした像とならないのが、「キラキラ系」というお言葉。

「意識高い系」というのは、意識は高いけど(やる気はあるけど)、口だけ、努力が空回りしている、または努力していない・・・・・ということなんだと思う。


でも、「キラキラ系」というのは、(プロ雀士の)勝間和代さんではないよね?(そもそも、カツマーも、よく分からないけど)

ニュアンスからすると、努力しているけど、外見だけ繕っている、ということ?


本編では、代表的な例としては、キラキラ広報を挙げていた。

「キラキラ広報は駆逐すべき」という議論がおもしろいw

会社や業務を広報するのではなく、「自分自身が広告塔になっている人」ということですかね?


この「キラキラ系」を、ライフクルーによって批判したり、評価したりと微妙に違っていて、・・・・・よく分からん。

そういうタイプが、身近にいないからな~。


それは、さて置き。

面白かったのは、女性と男性の物差しについて。

女性の場合は自らが望んだ道(専業主婦でも、バリキャリでも)で成功すればOK。
けっこう、いろんな人生の形がある。

でも、男性の場合は、意外とないよね、というお話。

もちろん、この社会においては、まだまだ女性の方が弱い立場ではあるんだけれども。


でも、女性の社会進出が認められるようになった結果として、旧来の形もあれば新しい形もある。(また、今時は、バリバリ働きながら、ちゃんとした伴侶も得て、子供もばっちり育てます! という女性もいる)

過渡期だからこその、ある意味では豊穣な生き方が存在する。

でも、男の場合は、専業主夫というのは、やっぱり、そうそう有り得ない。(そもそも専業主婦が難しくなっている昨今、専業主夫は、まして)


荻上チキさんかな?
「女性を解放するというのは、男性を解放するのと同じ」と言っていたような気がするけど。

「女性らしさ」というものが無くすということは、つまりは「男性らしさ」(例えば「男が家で家事をやるなんて、おかしい!」てな考え方)というものからの解放でもあるんだねー。


とは言っても、(陳腐かもしれないけれども)男性は尺度がしっかりしている。(または既存の尺度が有効に存在している)
でも、女性の方は、いまいちはっきりしないよね、という指摘も。

そこから、キラキラ系というものが生まれてくるのかな?
(勝手なイメージとしては、Facebookで「いいね」を集めることを基準にする生き方?)


で、「キラキラ系(笑)」という面がありつつも、この手は、自分勝手に人生を切り開いていくポジティブを持ち合わせている。
ある意味、安心。

それよりも困るのは、「モヤモヤ女子」。

積極的になれない。


でも、もう、そんなことは言ってられないよね。
(ネガティブなり、後ろ向きでは、この社会を渡っていくのは難しい)

または、そういう人をも巻き込んでいくことが、必要だよ。

という感じで、今回は、まとまりました。


本編でも思ったことだけど、なるほど、ネガティブは金持ちの道楽になりつつあるのね・・・・・。

2015年5月15日金曜日

文化系トークラジオ Life「ポジティブの現在/ネガティブの未来」本編の感想

文化系トークラジオ Life_ 2015_04_26「ポジティブの現在/ネガティブの未来」 アーカイブ

昔はネガティブが主流だったけど、今って、ポジティブが主流ね~、なんで?
そして、今のポジティブはどこに向かっているの?

てな感じで、今回のライフは進んでいった感じ。


僕はネガティブ人間だと思っていますが、「ネガティブって、バブルの産物」だと放送の中では言われており、「あぁ、そうなのか・・・・・」とオッサン苦笑い。

以前の「超絶!ポエム化社会」で、「スローガンが声高に語られるのは、現実が辛いから」という指摘があったけど、ネット上で「ポジティブ♪ ポジティブ♪」が重宝されるのは、現代日本が下降線(撤退戦)に入り込んでいるからなのかもしれないのね・・・・・。ふーむ。


そういう中で、さて、ポジティブとネガティブ。

現実においては、ポジティブの方が有効であることは分かり切っているけど(ネガティブなんて社会のゴミだ!)、「意識高い系」「キラキラ系」などと揶揄されるように、内実の伴わない、格好・外見だけのポジティブは意味がない。

またポジティブの強要からの洗脳となっては、カルトであったり、やる気の搾取といった問題を生み出しかねない。

そういうものを回避してのポジティブとは? ・・・・・なんだけど、徐々に明らかになっていくのは、他人からの「こうしなさい!」ではなく、内なる自己からの内発的な「やる気」が大事。

それを生み出すには、現実を知ることから始めるべき。
そこから、「さぁ、この現実と、どう対峙していきましょう!」という流れが、健全なのでは? という感じで、まとまったけど・・・・・・。


重箱の隅をつつけば、洗脳と善導は、よく似た響きでして。

「厳しい(日本の)現実を見せる」というのは、それはそれで、新興宗教が「これを買わない(信じない)と、地獄に落ちますよ」と脅しているのと、紙一重のような・・・・・・・。

「そこまで言い出したら、キリがない。なにも出来ない。やらない言い訳に過ぎない」と言われると、「その通りです」と頭を下げるしかないです。


僕なんかからすると、浮上するのも、堕ちるのも、当人の自由じゃん。ほっといたら? などと、ネガティブを通り越して、アナーキーに思ってしまいます。

本放送の前の予告編にて、かつての毒舌家(切り込み隊長とか)も、最近は丸くなったよね? というお話しがありました。

それを成長と見るか、環境の変化と見るか。

個人的には、「年取ったんだよね」と思ってしまいます。

村上春樹氏も、ある時期から「コミットメント」という言葉を使うようになりました。

それもあってか、最近は政治的な発言も多いです。

・・・・・・まぁ、年を取るって、そういうことなんだろうなぁ。

部下が出来たり、ある程度影響力のあるお立場に立ったりすると、そういう考えになるの自然なのかな? と思います。(簡単に言うと、説教臭くなるということ)

しかし、僕も、いい年なんだが、相変わらずネガティブなまま。
成長も変化もないな・・・・・。

2015年3月17日火曜日

文化系トークラジオ Life「No Music, No Life?~音楽はいまどう聴かれているのか」本編の感想

いつも楽しく聞かせてもらっている文化系トークラジオLifeですが、今回は現在の「音楽」状況がお題。

まぁ、あんまり音楽に興味がないのですが、それでも、若い頃は、今よりは聞いておりました。

あの当時からすれば、今のようにyoutubeで、好きなだけ(無料で)、色んな音楽を聞ける現在は恵まれているのは確か。

そんなに興味のない僕ですら、「今の若い人は、音楽に関しては、羨ましい環境だなー」などと思います。
僕のような人間ですら、有料でも適当に音楽を聞いていたのですから、今の若い人は音楽漬けになれるじゃん・・・・・・・、とならないどころか、むしろ、今の若い人は音楽には、あまり興味がない?

どうなんです?
そんな雰囲気なんですか?
身近に若い人がいないので、イマイチ分かりません。

本放送では、「若者の音楽離れ」という側面を語りながらも、一方で「やっぱり若者と音楽は、今も不即不離」というお話もあり。

まぁ、確実に言えることは、「かつての若者の音楽受容と、今の若者の音楽受容は違う」ということでしょうか?


音質はともかく、youtubeを使えば、古今東西の音楽が自由に聞ける。(youtubeだって、エアチェックで録音したテープカセットよりは、音質はいいんじゃないの?)
この恵まれた環境って、結局、音楽の有り難みを失わせている側面はあるのかな? と思わないでも。

「食べ放題に行くと食べ方が汚くなる、食べ物を粗末をしてしまう」というヤツです。

聞き放題というのは、諸刃の剣なのかもね。
(ちょっと不便なくらい、また物足りないくらいの方が、大事にしてくれる・・・・・。人間も、そうだよね~)


で、まぁ、音楽受容の違いを、いろいろと話し合っていくうちに、「座学的な音楽」は時代遅れになりつつあるのではないか? という流れに。(もしかしたら、時代遅れではなく、復古かも)

つまりは、今の音楽が身体性を求めている(または、再び取り戻そうとしている)。


それを聞いていて、以前、鈴木さんが、よく口にしていた「モノ消費ではなく、コト消費」という言葉を思い出しました。

また、最近ですと、ライフの本放送「フィジカルの逆襲」「ソーシャル、レジャー、リア充」でも言及されていたことで、データ化されてしまうものは、限りなく無料(無価値、陳腐化)に近づいていくネット社会において、リアルな体験こそが貴重になっている、ということ。

そういう世界において、「SEKAI NO OWARI」が自分たちのライバルを、ディズニーランドと言っているのは、意図してか意図せずしてかは分かりませんが、象徴的ですね~。


おまけの感想。

「SEKAI NO OWARI」の良さが分からない・・・・・・というお話が出ていましたが(出演者が分からないというよりは、そういう意見をよく耳にする、という感じでしたが)、そりゃ、中高生に受けている音楽なんて、中年連中に理解できるわけないよね。

中年が好きなものを、中高生が好きなわけないじゃん。

2015年3月8日日曜日

浅野いにお「ソラニン」


「文化系トークラジオ ライフ」を聞いていると、何度も耳にする「浅野いにお」さん。

が、まだ一つも読んだことがなくて、とりあえず手にした「ソラニン」。
映画化もされたし、代表作なのかな?


二巻で完結しているし、直ぐに読めてしまうな、と軽い気持ちでページを開けましたが(電子書籍で読んでいるので、正確には開けないのですが・・・・・)、「こりゃ、ダメだ」と直ぐに閉じてしまいました。

「ダメ」というのは、作品の質が低いというのではなく、むしろ逆で、数ページ読んだけで、「これは、心をもっていかれるタイプのマンガだ。軽い気持ちで読むと後悔する」と、一旦中止。

で、しばらくして、「買ったはいいけど、なかなか読む気になれんなー」という気持ちでしたが、酔っ払った勢いで(←かなり軽い)、読み始めると、予想通り、やめられない、とまらない~。

で、「グサッ」と来ました。


基本は、大学を出て就職をしてみたものの、実社会に馴染めない井上芽衣子と、その彼氏である種田成男の現在の物語。

が、時系列は、自由自在に過去に遡り、大学入学や卒業のエピソードが、ちょいちょい差し込まれます。

そんなわけで、全編では、大学入学の18才から現在の24才まで、六年間が描かれています。

時々で、けっこう細かく主人公の髪型や雰囲気が変化。
「大学入ったばかりっポイ」「ちょっと社会人をかじったクサイ」という空気感が、ちゃんと出ていて、「上手だな~」と感心します。

主人公以外の登場人物も、時代毎に描き分けられていて、また部屋の小道具、町の風景なんかも、みっしりと精緻。
最近の作家さんは本当に大変だなと、思わされるレベル。(でも、これ、十年前の作品なのね、・・・・・小道具は時代を反映して、ちょっと古いけど、作品自体は全然古くないです)


ネタバレのストーリーですが、彼氏の種田はバンドマン。
音楽が好きで、それで食えたらと思ってはいるけど、死ぬほど努力しているとは言えない。

で、そんな姿に怒った彼女の芽衣子は、本気になれと、けしかける。
種田は誰かに批判されんのが怖いんだ!!
大好きな大好きな音楽でさ!!
でも 褒められても けなされても
評価されて はじめて価値が出るんじゃん!?

・・・それで・・・ ホントダメだと思ったら・・・
その時は その時だけど・・・
に対して、種田の返答。
・・・その時、どうしてくれる?
一緒に死んでくれるの?
このヘタレっぷりが、青春ですなー。(読んでいて痛々しい)

で、まぁ、仕事(アルバイト)も辞めて、種田は本気モード。
デモテープ(デモCD?)をつくって、音楽会社に送る。

どうにか一社だけだが会ってみたいという会社があり、面接に。
でも、それは種田の曲に関心があったのではなく、彼らの技術が必要なだけで、あるグラビアアイドルのバックバンドの誘いを受ける。

ここが重要なんだろうけど、これを、種田ではなく、芽衣子が断るんだよね。

種田の夢を叶えさせようとしている芽衣子ではあるんだけれども、また一方では、社会にうまく馴染めない自分への苛立ちが、彼を追い込んでもいる。

だから、一見すると、種田の代弁として芽衣子が断ったように見えるけど、・・・・・・種田の真意は、どこにあったんだろう?

一応、断ってくれたことに対して、「ありがとう。」と感謝の言葉を述べているけど、その時、種田は芽衣子の顔を直視していないんだよね。

それに比べて、芽衣子は、満足気に微笑んでいる感じ。

うーん。
まぁ、どう解釈するかは、読者の勝手なんだろうけど、種田は、「どっちもアリ」と思っていたんじゃないかな?
バックバンドとは言え、音楽で食えるのは事実。そこから、チャンスもあるかもしれない。

でも、アイドルのバックバンドなんて、自分の音楽を否定しているようなもの。

グラビアアイドルの子は、種田がバイトで画像修正を施していた子と同じなんだよね。
つまりは、音楽で食えるといっても、これじゃ、かつてのバイトと同じ。音楽が食うための仕事に成り下がってしまう。

で、答えを出してくれたのは、彼女の芽衣子。
感謝できるけど、重荷にも感じるようになり、ついには、種田は別れようと言い出す。

それに対して、
「俺がどーにかする」って 言ってたじゃん!! どこまでも あたし達は一緒なんだからって言ったじゃん!!
と、過去の種田の発言を持ち出し、彼氏を、なじるわけだ。

おもい! おもいよ!!

で、彼氏は失踪。(まーねー)
でも、かつてのバイト先に頼み込んで仕事を見つけてから、芽衣子に電話。

音楽が嫌いになったわけじゃないから、プロは諦めるにしても、これからも、みんなで楽しもうぜ、てなことを言って、電話は切れる。

そうは彼女に伝えたものの、もちろん、そんな簡単に諦めきれるわけもなく、バイクに乗り、家路を急ぎながら、涙を流す。


そこで、交通事故だよ。


正直なところ、青春モノで交通事故って、便利な小道具なんだよね。
有無を言わさず悲劇的な演出ができる割には、伏線とか面倒くさいことが要らないし。便利、便利!


・・・・・・でも、「ソラニン」においては、この事故が、自殺とも解釈できる。

以前にも、音楽がダメだったら「一緒に死んでくれるの?」と、彼女に伝えているし。

そこが上手と言うか、ちゃんとしていると言うか。


さて、「自殺」なのかな?
どうなのかな?

普通に読むと、事故とする方が無難かな?
直前に彼女に向かって「愛している」と伝えようとしている人間が自殺するわけないようには思えるけど。

が、愛する人がいても、自殺する人は、世の中にはいるわけでして。

まぁ自殺ではないにしても、自暴自棄になっていた、というくらいかな?


で、そういうわけで、種田は現実世界から強制退場。

ここまでが、一巻。

残された彼女の芽衣子が、立ち直っていくのが二巻になります。
(喪失と再生だ! ←今、この言葉は、あんま使われなくなったね)

種田(と彼の夢)に依存していた芽衣子が、彼の代わりにバンドのボーカルになるという、継承という手段でもって、喪失を乗り越えようとします。
あたしって何をやっても中途半端なんだよなぁ。
と言う芽衣子だったけど、どうにかこうにか、ギターを物にして、ライブで人前で披露できるくらいの腕前にはなり、・・・・・一応、自立を果たす。


さて、単行本のカバー。
河川敷になっているけど、この漫画って、川を前にして話が進むことが多いんだよね。

種田が、会社を辞めて音楽に打ち込もうと決心をするのも河川敷。

就職が決まった芽衣子に向かって種田が愚痴を言うのも川沿いの道。
その後に、同棲しようと芽衣子が暗に誘うのも川の土手。

大学に入ったばかりで、種田から芽衣子に告白するのも河川敷。


もちろん、これは作者の意図なんでしょう。


で、いつも川の前なんだけど、ついに、それを渡るシーンがあったと思うと、それは、種田が芽衣子に別れようと提案する時。

でも、それは、芽衣子から拒否。
結局、二人は川を渡れず、現状維持。モラトリアムから抜け出れない。

だから、ボートは転覆してしまう。


つまり、川の前にいる彼らってのは、大人になれない、社会に馴染めない象徴なんだろうね。

でも、いつまでも、そんなわけにもいかないわけでして・・・・・。


種田が死に、彼の意志を継承する為に、ライブに挑む芽衣子。
そのライブの直前になって、河川敷で出会ったメガネをかけた子に、
僕はずっとここにいたもん。
おねーさんこそ こんな所で何してんの? 迷子?
と言われる。
まぁ、あきらかに・・・・・とまでは言えないけど、どことなく死んだ種田を想起させるキャラ。

種田は、既に生きていないのだから、もう「ずっとここにい」るしかない存在。

そこで、ギターを演奏していると、子供はいなくなり、大学の先輩から演奏が上手になったと褒められる。

無理に解釈をすると、これは成仏をあらわしているのかな。言い過ぎ?


そして、後日、種田との共通の友人で、バンド仲間でもあるビリーは、やはり河川敷で、芽衣子に向かって種田の死を乗り越えてみせると誓う。


で、ライブを成功させて、種田の喪失から、仲間たちは立ち直りを果たす。

だから、最後のページでは、登場人物たちが橋を渡っているシーンで終わるわけですな。


うーん、よく出来ているね。


おまけの感想。

種田の顔って、ライフのパーソナリティである鈴木謙介さんがモデルのように思えるけど、どうなんだろう?


2015年1月19日月曜日

文化系トークラジオ life「文化系大忘年会2014」外伝の感想

年末恒例の「文化系大忘年会2014」ですが、外伝は珍しく三編。
休憩時間が15分程度だとして、結局、外伝だけで、三時間弱かかっていると思われます。

本編三時間の外伝三時間。
ご苦労さまです。

・・・・・・で、内容ですが、継承問題はテクノロジーで乗り越えられるのではないだろうか? という鈴木さんの冗談のような提案が。

曰く、「タモさんのbotをつくることで、「笑っていいとも」は永遠に続けられるのではないだろうか?」

最初は「?」と感じましたが、聞いているうちに、将棋の電王戦なんかで生まれた戦術が、人間同士の戦いでも使われているなんてことを思い出して、あながち絵空事でもないような気もしつつ、さすがに、物語や思想、システムの構築までもコンピューターが担うのは、まだまだ先の話のようなイメージがありますが、さて、どうなんでしょうか?

例によって、二転三転して、一番面白かったのは、最後の外伝3。

疲れも溜まって、タガが外れ、言葉に遠慮がなくなり、いろいろと容赦無い言葉が噴出。


「タモさんbot」は、半分冗談であり、仮に実現させようとしても、現状の科学力では、まだ無理。

が、現実においては、「もう既に、我々自体が、bot化(ゾンビ化)しているではないか! これでいいのか、我々は!?」という塚越さんからの、アツい問題提起。

テクノロジーによって社会が効率化していく中で、「いつもある話」と言ってしまえば、それまでなんでしょうけど(チャップリンのモダンタイムスとか)、言われてみると、「あぁ確かに、自分もbot化としているな・・・・」と思わされました。


そういう中で、俺たちは、どうすればいいんだ!? そうだ、苦行だ。苦行の先の光だ!!(注:ラジオ内では、「苦行」とは言っておりません)

てな、まるでオウムに走った高学歴の若者のような結論になって、皆さんから「それは、あぶない」というツッコミがはいってましたが、司会の鈴木さんは、けっこう塚越さんをフォロー(援護)してました。


結局、2014年は、ネットの陳腐化(日常化)が顕在化した年だったのかな?

今回の放送でも再三再四指摘されていて、それ以前にも、東浩紀さんの「弱いつながり」、ライフの「フィジカルの逆襲」でも背景にあるのは、ネットへの失望感。

2015年の今年はwin95が登場して20年という節目ですが、あの当時って、ネットに夢を見ることができたもんね。

それに比べて、今は、夢を見るのは難しい。

もちろん、ネットのサービスは、これからも進化を続けていくのだろうし、新しいサービスも生まれてくるのは間違いない。
もっともっと便利になっていく。

でも、インターネットが普及し始めた当時のような、「革新的な何かが始まる!」というイメージを持つことはできない。
それどころか、ユビキタス社会の到来は、「いつでもつながっていなくてはいけない」というゲンナリとする社会をも意味しており、あぁなんだかな~とも感じてしまう人が多数いるのも事実。


で、松谷さんかな? やっぱり、そういうネットブームの沈静化とも言える現状について(20年もブームが続いていたとすれば、すごいことだけど)、以下のお言葉。(もちろん、逐語ではないです。テキトーに要約してます)

「バイラルメディア」なんか見てんじゃねーよ(それだけで満足しているんじゃねーよ)、最近の素人のブログの、予定調和な論調はなんだよ、あの劣化版ライフクルーのような言動は! 

という、大変、心に刺さる指摘が・・・・・・。
最後の最後で、えぇ、まぁ、すいませんな、という感じでした。

2015年1月6日火曜日

文化系トークラジオ life「文化系大忘年会2014」本編の感想

例年通りの「文化系大忘年会」ということで、今年一年の、出演者陣が印象的だったことを語ってもらう回でした。

なので、話は、いろいろと飛んで飛んで回って回って♪ という感じ。

中でも印象深かったのは、最後の「継承問題」ですかね。

2014年12月28日Part5「文化系大忘年会2014」

今年はディズニーが我が世の春を謳歌している一方で、ジブリの影が薄かったよね・・・・、大丈夫? という認識からの、「宮崎・高畑コンビ」後のジブリは、どうにかなるのだろうか? という問題。

しかし、なにを持って継承とするのか、人それぞれイメージが違うようで、「資産」「ブランド」「屋号」「伝統」「スピリッツ」「著作権」「技術」「売り上げ」「キャラクター」等々、どれを受け継ぐと成功と言えるのだろうか? というので、ちょっとだけ紛糾した感じ。

仮面ライダーを例にだして、「日本でも成功している例があるじゃん」という人もいれば、「いやいや、あれは成功じゃない」「もう限界が来ている」という人も。

解釈が分かれるところでしたが、個人的には、ウルトラマンやゴジラよりも、毎年新作が出ているのは、十分成功しているような気がしますが・・・・・、さて。


とにかく、「ディズニー」が大成功の例。
それを基準にしてしまうと、どうしても日本のコンテンツがかすんでしまうのは、当然。

日本でディズニーに対抗できる個性と言えば、かつては手塚治虫だったのかもしれませんが、やはり、継承はできなかった。

現在、世界で戦えるコンテンツをつくり上げている(いた)ジブリは、今後も、世界を戦場とできるような作品をコンスタンスに創造できるのだろうか? ということなんですが、・・・・・まぁ無理じゃないかな?

小説家の御子息が小説家であることが偶にあるけど、正直、先代と拮抗するレベルの作家って、あんまり思いつかないよね。(すぐに頭に浮かぶのは、福永武彦さんと池澤夏樹さんがいるけど。それくらい?)

歌手にしても、そうだし。(子供の方が有名になると、親がかすんでしまうということもあるけど)


「ハードコアゲーマーでいろよ」という名言を生んだNHKスペシャル「世界ゲーム革命」を見た際に強烈に思わされたことだけれども、アメリカのエンターテイメント界って、「産業」なんだよね。
「面白いものをつくる」ってことに対して、完全に割り切っている。
そこに、「個人の想い」というものは皆無ではないけど、かなり軽視される。

「こっちの方が面白いじゃん!」という意見が大多数を占めると、あっさりと変更されてしまう。

映画なんか顕著で、ハリウッドではラストシーンをいくつか撮影しておいて、試写会において、もっとも感触が良かったものを採用したりする。
実写版「フランダースの犬」なんか、日本では、よく知られている悲劇的な終わり方だけど、アメリカでは「助かっちゃった」というハッピーエンドだそうです。

大ヒットした「アナと雪の女王」だって、脚本は、「あぁでもない、こうでもないと指摘されて、変更されている」という話が、ライフ本編でも紹介されているし。
(ピクサーの作り方は、そうみたいね)

「産業」なんで、それくらい「個人の想い」(作家性)というものは、ないがしろな感じ。


それに比べて、日本の場合は、「個人の創作活動」という面が、ギリギリで容認されている。


現在、日本で大ヒットしている「妖怪ウォッチ」だけど、いろんな業種がタイアップしているのは、皆さんも知っての通り。

ほとんどのものが、「全然関係ねーじゃん」とつっこみを入れたくなります。

なんか、生き急いでる(ここで儲けるだけ、儲けたるがな!)という感じが半端ないです。


知っての通り、「妖怪ウォッチ」の仕掛け人は、レベルファイブの日野さん。

「世界ゲーム革命」でも、日本のクリエーター代表として登場していました。

現在、巷にあふれる妖怪ウォッチの様から分かるように、その手腕はお見事なものです。

それでも、「世界ゲーム革命」での日野さんは(番組の構成上、意識的に対比させられていたこともあって)、日本的に描かれておりました。

つまりは、レベルファイブでのモノづくりは、彼個人の個性に依拠している、という感じに。


日本が未熟というよりは、思想・文化の違いだろうからなー。
なんとも言えないです。

コンスタンスにクオリティの高い作品を生み出そうとすれば万人からのアイデアを募集するほうが効率的なわけで。
しかしながら、平均的な良い子ちゃんの作品しか出てこないという欠点も。

一方で、個人に依拠すると、どうしても「表現の場」という側面が強くなってしまう。
すると、なんだか他人には理解出来ない自慰的作品が生まてしまう一方で、その個性によって独特の、今までにはない作品が生まれる可能性もある・・・・・。


ディズニー作品が、現状においては、ジョン・ラセターという稀有な才能によって、独創性と汎用性のバランスを上手にとっているのは事実。

そう考えると、結局は、たまたま天才がいたから、現在のディズニーの隆盛があるんじゃん? とも、思ってしまうけど、どうですかね~。


まぁ、それは置いておくにしても、ジブリの継承問題。

「アナと雪の女王」はディズニーらしくない作品とも評されることもあるけど、「お姫様」「女王様」「王子様」「魔法」という設定・小道具は、やっぱりディズニーでして。
そういう意味では、やはりディズニーの作品であったわけで。

さて、「ジブリ」らしいって、なんですかね?

うーん。

「宮崎監督と高畑監督が、やりたい放題やる場所」というのが、僕のイメージですね。

これを継承するって、やはり無理な気がする。


仮面ライダーやガンダムというものとは違うからな。

最終的には、虫プロや藤子プロみたいに、著作権の管理がメインになっていくのかね・・・・・。

2014年11月20日木曜日

東浩紀「弱いつながり 検索ワードを探す旅」を読了

「TBS RADIO 文化系トークラジオ Life」を聞いていると、よく「東浩紀」さんのお話が出てくるのですが、未だ一冊も読んだことがなく。

で、一冊読んで見ようかと手にした「弱いつながり 検索ワードを探す旅」。
最新作なのかな?

アマゾンのレビューで「薄いです」と書いてあったのですが、確かに字も大きく、ページ数も150枚で、集中力がある人なら一~二時間くらいで読み終えることが出来ると思います。

しかし、ページは少ないですが、内容は濃い・・・・・・という、ありがちな言葉を並べたくなりますが、・・・・・「濃い」とまでは言えないか?

そもそも、海外旅行から世界の有り様を考察という「悲しき熱帯」的な流れからのロゴスの限界を指摘というのは、思想・哲学のことは詳しくないけど、まぁ、ありがち?


でも、今更感もあるような、ありがちなことを主張しなくてはいけないというのは、結局のところ、それほどまでにネットの支配が確立されてしまっているということなのか、・・・・ふむ。

それで思い出したのは、「TBS RADIO 文化系トークラジオ Life」の「ソーシャル、レジャー、リア充」の回。

峰なゆかさんが、「女子会での写真は、一旦ネットに上げたものを加工して、完成品だけを参加者と共有する」と言って、それに対して、速水さん(だっとと思う)が「もう飲み会ではなく、ネットに現実があるんだね」と感想を述べていたこと。

日々の生活の変化ってゆっくりだから、気がついていなかったけど、「目の前のリアルを無視して、仮想のネットが優先される」傾向は、確実に進んでいるのかもね。


インターネットの誕生によって、「あらゆる人が、平等に情報にアクセスできる! 情報の共産革命だ!」てな感じで喜ばれていたはずなのに、気がついたら、グーグルやらフェースブックやらに情報が全て握られてしまっている。

もちろん、無料でアクセスできることによって、もたらされた恩恵は大きいんだけど、大きければ大きいほどに、副作用も出てくるのは、どこでもある話でして。

正負は糾える縄の如し。


ネットが巨大になり過ぎてしまった。膨大な情報がいくらあっても、フィルタリングができなければ、結局は必要なものにアクセスすることができない。

で、グーグル先生は、便利なツールを基本無料で開放してくれている。

とっても賢くて、「自分に必要な情報」を、素早く取り出してくれる。


が、この「自分に必要な情報」がクセモノでして・・・・・。
ネットには情報が溢れているということになっているけど、ぜんぜんそんなことはないんです。むしろ重要な情報は見えない。なぜなら、ネットでは自分が見たいと思っているものしか見ることができないからです。そしてまた、みな自分が書きたいと思っているものしかネットに書かないからです。
グーグルが、evilかevilでないかは、さて置くとしまして、こうして指摘されてみると非常に納得。

ネットは、人間の知識を無限に広げてくれるのではなく、タコ壺に押し入れる装置としても作用する。

日本に限らず、ネット世界においては保守的な愛国運動が盛んだけど、この説明で、その原因が、ようやく理解出来ました。


特に重要なのが、本書においては、ネット自体を批判しているわけではないんだよね。(「書を捨てよ町へ出よう」ではない)

オッサンにありがちな、「昔は良かった」的な論法で、
 「ネットは犯罪の温床だ」
 「人間性を破壊する」
 「日本社会の伝統をズタズタにする」
てな安易な言葉を持ち出してきているわけではない。

最早、後戻りはできない世界に、我々は生きているのであって、それを踏まえて、「ネットの特性に気をつけろ」、「意識的にネットからの距離を考えろ」と、いう警告している。

すっかりスマートフォンが手放せなくなってしまった生活をおくっている人間なので、なんともお耳痛い警告です。


また、「TBS RADIO 文化系トークラジオ Life」の前回「フィジカルの逆襲」は、どうも最後の一歩が腑に落ちないという感じだったのですが、本書を経由することで、ようやく胸に収まった気がします。


弱いつながり 検索ワードを探す旅
by カエレバ

2014年11月7日金曜日

文化系トークラジオ life「フィジカルの逆襲」外伝の感想

本編に続き、外伝も聞き終わりました。
(■文化系トークラジオ life「フィジカルの逆襲」本編の感想)

外伝冒頭は、速水さんが、最近、けっこう口にしている、「顔を合わせていないと、アイデアは生まれないよね」というお話。(イケダハヤト氏については、ゴニョゴニョ。まぁカーネーションの脚本家の渡辺あやさんは、島根在住という話だから、そういう場を必要としない、または東京以外という場が創造を生む人もいるんだろうけど)

アメリカのヤフーが、在宅ワークを禁止したように、ちょっと前までは、「情報化社会で、どこでも仕事はできるだん!」だったんだけど、どうやら、それは駄目だったみたい。
(ノマドは、どうなった? まぁ、あれは、単にフリーター・フリーランスを、現代風に翻案しただけだから、流行り廃りの問題じゃないか・・・・)


「書を捨てよ町へ出よう」てなもんでして、単に情報の嵐に接しているだけでは、限界があるよね、意味が無いよね、ということ。

でも、勘違いするとまずいんだろうな、と思ったのは、「ほらね、昔の方が良かった」ではない、ということ。

だから、本編では問題提起された(触れただけで、回答はなかった)、フィジカルが見直されいるけど、でも「飲み会ブーム」は起きていない、という不思議。

一応、ノミニケーション事態は見直されていはいるけど、ブームとは言えないですよね。

あくまでも、「ネット(情報、SNS)」と「個人」の仲介役としてのフィジカルが持ちだされているのであって、そういう環境下においては、「飲み会」というのも一つの手段に過ぎない、ということなのかな?

社縁が人生の大部分を占めていた過去の社会であれば、「飲み会」は、「会社」と「個人」を結びつける重要にして最大の仕組みだったけど、今は、そうもいかない。
一生涯、同じ会社に奉公するなんて、なかなか・・・・・・。


で、まぁ、外伝は、そこからいろいろと話しが飛んでいきました。

本編では、フィジカルの正の面が多く語らていたように思えますが、外伝の特徴としては、負の面にも、ちょっと触れられています。


気になったのは、最後の部分。

司会の鈴木さんが、「フィジカルがもてはやされる一方で、その風潮って、秋葉原事件の前のような匂いがする」という発言。

聞いた方は、鈴木さんの真剣な語り口に、ちょっと考えさせられたのではないでしょうか?


うーん、どうなんですかね?

AKBの襲撃事件もありましたし、そういう人間が出てくるだろうとは、残念ながら、思います。

AKB襲撃男「メンバーの高収入に不満」厳戒初公判で傷害罪認める
検察側は、梅田被告の犯行動機について「警備の仕事を解雇され、収入も職もなく、つまらない人生を送っている自分と、テレビで見た多額の収入があるAKBメンバーとは正反対と考え、そうした不満を解消しようと犯行に及んだ」と指摘。
いかにも、検察が主張するような内容ですが、まぁ実際も、そんなとこなんだから仕方ないのか・・・・・・・。


でも、単純に、「華やかなものを妬む人間がいるよね、そういう人が出てくるよね、きっと」という予想というよりは、もっと、深い意味での「負」があふれてくるのではないか? という口調だったのか、ちょっと気になりました。

どうなんだろうな・・・・・・。

鈴木さんも冗談めかしていっていましたが、こういう予想は、当たらない方が、いいですけれども。


「ネット」と「個人」の間に入る「フィジカル」ですが、鈴木さんの解釈では、「招待」がなければ、そこには入り込めない。(今回は、西森さんが、速水さんに「招待されない人間」扱いされていましたが)

確かに、「飲み会」を例にすると、誰か知り合いがいなくては、(普通なら)行けませんからね。

ライフ風に言うと、「招待されない問題」が、来年当たりは、話されていくのかな?

でも、それだとすると、ソーシャルキャピタルがうんたらかんたらで、まぁ「今更」感もありますが、さて。

2014年11月4日火曜日

文化系トークラジオ life「フィジカルの逆襲」本編の感想

10月26日に放送された文化系トークラジオlife「フィジカルの逆襲」本編を、ようやく聞き終えました。

今回は野球中継の関係で、二時間。

ゲストも少な目で、レギュラーメンバーがメインでしたね。(斉藤さん、どこ行ったの?)


今回のタイトルは、「フィジカルの逆襲」でして、「モノ消費からコト消費」、「コミュニケーションからしか消費は生まれない」という時代が、さらに深化なのか、昇華なのか分からないけど、ちょっと変わってきたよね? という疑問から生まれたようです。

前回の「ソーシャル、レジャー、リア充」の延長戦という感じ。

前回の感想。
文化系トークラジオ life「ソーシャル、レジャー、リア充」本編の感想
文化系トークラジオ life「ソーシャル、レジャー、リア充」外伝の感想


二時間なんだけど、けっこう話が飛んでいるんで、まとめた感想を言うのが難しい・・・・。


SNSが出来て、人との交流をする仕組みはできたんだけど、それだけでは、上手くまわらない&疲れてしまった。

で、カラーランみたいな、SNSに載せることが前提になっているイベントが生まれてきたりしている。


つまりは、ネットの行き着く先は、攻殻機動隊のようなネットと自己の境界線が曖昧になっていき・・・・・なんてことではなくて、「自己」と「ネット」だけでは、どうしようもなくて、その間に「フィジカル(身体)」 ---「現実社会」「リアル世界」「場」とかに言い換えてもいいのかな?--- が、必要になってきている。

そんな流れが、「フィジカルの逆襲」でして、時には小難しく、時にはいい加減に、時には冗談を交えながら、いろんな例をあげて解説してくれました。


まぁ、グーグルグラスや、スマートウォッチのような、よりネットを身近にするガジェットは増えていくのだろうけど、どんなに便利になっても、「個」が消滅するようなことは(当分は)ない。

いくら簡単に情報を得ることができても、いや、むしろ、簡単に情報を得ることができるからこそ、身体的な悦楽や満足感は、より希少価値の高いものになりつつある、・・・・・ふむ。


その例として紹介されていたのが、「高田馬場ゲーセン・ミカド」。

今時、家庭で対戦なんて、ネットを介して、クサルほどできる。
いちいち、金もかからない。

それでも、わざわざ、移動して、ゲームセンターで集まってきて、金を払ってまで対戦している。

要するに「場」(フィジカル)の提供が成功している。


2chなり、SNSなり、同好の士が集まる「場」は、ネットには多く存在しているし、「それで十分」という層もいる。

でも、それだけでは満足できない or それで満足できない層も確実に存在している。


「里山ウェブの時代」で、Google等によって、全てが並列化されてしまう世界の中で、どうやってマネタイズしていくのか? という問題提起で、コミュニケーションがキーワードになっていたと思うけど、それにつながるのかな?


GoogleやFacebookを(当然ながら)含めた巨大なネットに対して、個人(個人商店、中小企業)が、どうやって立ち向かっていくのか? という一つの答えでもあるのかな?


しかし、放送中に話題になっていた、「ストリートファイターのど自慢」ですが、
【再告知&追加課題曲】8/10(日)13時より 「ストリートファイターのど自慢」のお知らせ最新版。
■課題曲(ミカドといえばASKA&ASKAです!)
・SAY YES (ASKA&ASKA)
・モーニングムーン (ASKA&ASKA)
・YAH YAH YAH (ASKA&ASKA)
・愛しさと切なさと心強さと(篠原涼子)
・碧いうさぎ(酒井法子)
・太陽の破片(尾崎豊)←NEW!!!
・冬がはじまるよ(槙原敬之 )←NEW!!!
・とんぼ(長渕剛 )←NEW!!!
・失恋レストラン(清水健太郎 )←NEW!!!
・何も言えなくて…夏(J-WALK )←NEW!!!
・ミカドの歌←NEW!!!(クリックでDL可能です)
「愛しさと切なさと心強さと」は、アニメの「ストリートファイター」映画版の主題歌ですね。

それ以外は、・・・・・・・まぁね。

美川憲一さんの「さそり座の女」あたりも入れそうです。

2014年9月23日火曜日

文化系トークラジオ life「ソーシャル、レジャー、リア充」外伝の感想

本編に続いて、外伝の感想。
(■文化系トークラジオ life「ソーシャル、レジャー、リア充」本編の感想)

外伝は二つあって、前半は、峰なゆかさんの、「イケてる人になりたい!」についての、ツッコミ。

司会が、鈴木さんの悪戯(?)で、塚越健司さんになったのだが、やはり鈴木さんのようにはいかず。
グダグダで、つい衒学趣味で、話の流れとは関係のない解説を始めたりして、でも、それが面白いという感じでした。


で、「イケてる人になりたい!」ですが・・・・・・。

「別に、無理すること無いじゃん」
「努力して得ることも必要」

の二つの意見に分かれまして。

海猫沢めろんさんは、「オレ、数学が好きだけど、他の人には、「なんで?」的なあつかいをされる。でも、理解できていくのは楽しい」と。
他にも、西森さんも、場数を踏んだら、映画も見る楽しさが分かってきた、という意見。

だから、努力するのもいいんじゃない? という流れ。


でも、「イケてる人になりたい!」か。

最初、「リア充になりたい」だと思っていましたが、そうではない、とのこと。あくまでも、「イケてる人」が目標。

うーむ。


「欲望を捨て去りたい」と思っているうちは、欲望を捨て去ることはできない。
欲望を捨て去りさりたいという欲望すらも捨て去ったときに、悟りの域に到達できる。

てな感じで、修羅の道だな~と思ってしまいます。

「イケてる人」を目指しているうちは、イケてる人ではないような気がします。

南無・・・・・・。


で、後半は、ちょっと塚越さんの司会も板についてきた感じ。

でも、観覧席の方々から今日の感想をもらって、塚越さんがまとめると、速水さん他には、背伸びしている感じを笑われていましたが。


いろいろと話しているうちに、個人的には本編で疑問だった、リア充の定義に触れてくれたのが、海猫沢めろんさん。

便宜的に「草食系リア充」と「肉食系リア充」という二系統に分けました。

「草食系リア充」とういのが、イコール「ソロ充」(一人でも充実している人)。「肉食系リア充」というのは、一般的に(またはネットで)イメージされる「リア充」。


この言葉を聞いて、目の前が開ける感じがしました。

峰なゆかさんは、「草食系リア充」では嫌なんだよね。

「肉食系リア充」・・・・にはなれなくても、そういう人と一緒にいたい、または、そういう人だと他人から思われたい。
ということみたいですな。


でも、外伝でも触れられていたけど、・・・・・・年をとると、自分を変えるのって難しいよね、と僕も思わないでも。

しかし、ないものを望むが人間ですからね。


前回の感想でも書いたけど、ライフ出演者の人は、なんで「リア充」を、そんなに嫌うのかね~?

と思ってましたが、基本的に、出演者の人は「草食系リア充」に当てはまるんだろうな。

はたから見ると、十分充実しているように見えるけど、それでも、ないものをねだってしまうんでしょうな・・・・。

2014年9月10日水曜日

文化系トークラジオ life「ソーシャル、レジャー、リア充」本編の感想

TBS RADIO 文化系トークラジオ Life
録音しておいた「life」本編を聞き終わりました。

「ソーシャル、レジャー、リア充」というタイトルから、「どんな内容になるんだ?」と、ちょっと不思議でしたが、現在のSNSがレジャーと、どう結びついているのか? という流れでした。

司会の鈴木さんが指摘する問題点としては、
  • SNSは企業のもの。営利目的に利用されていることに自覚的であれ
  • 企業の手の上であるのだから、無理にする必要はないことに気づけ
という二点かな?(自分が聞き取った範囲ですが)

前者は、クリスマス資本論と通底するものですが、そんなに触れられていなくて(外伝で触れているのかな?)、メインとしては後者が語られていたような気がします。

「別に好きでやっているんだから、そんなの気にしなくていいじゃん?」

と言ってしまえば、それまでですが、

「本当に好きでやっているの? やらなくてはいけないという空気に踊らされている? または強制されているんじゃないの?」

という疑問があり、だから、副題では「ソーシャル、レジャー」の後に「リア充」が出てきます。


「リア充であることをアピールする為に、無理にSNSを使ってない?」

であり、逆に言うと、

「本当のリア充なら、SNSなんか要らないのでは?」

という仮定が導き出されておりました。


いつも通り、楽しく拝聴していたんですが、モヤっと心に引っ掛かっていたのが、「リア充」の定義。

もちろん、「リアル(現実世界)が充実している人」というのは、当然、知っていますが、そこから想定される具体的な人間像というのが、今回の出演者によって微妙に違う点。

特に、あらわになったのが、松谷さんが「同窓会に参加している人は、リア充だ」という発言に対して、いつもはプロレス的に意見を戦わせる傾向がある速水さんと西森さんが一緒になって、「同窓会に出るなんて、リア充なわけないじゃん」と噛み付いたところ。(司会の鈴木さんも、速水さん等と同意見かな?)

僕は、高校の同窓会に、一度参加しただけなのですが、そのイメージからすると、松谷さんに賛成。

僕の高校が、一応、地元では進学校だったということもあり、参加者のほとんどが公務員(地方の役人か、教師)や銀行員だったんだよね。

そして、女性の既婚率は高い(ようだった)。

「なんだかみんな、立派な仕事に就いているな」
と思ったけど、冷静になって考えてみると、「立派な仕事に就いている」と思っている人が参加しているんだよね。

田舎の進学校の生徒だから、プライドは高い。
だから、今の自分に満足しているような人間だけが同窓会に来る。

自分の現況に対して、恥ずかしいと思っているような人間は、来ないわけですよ。


で、速水さん西森さんにしてみると、「田舎でくすぶっているような人間は、都会に出れなかった負け組」というイメージがあるようで。(俺たち、都会の荒波にもまれながらも、フリーランスとして、立派に食っているぜ! という自負があるんだと思います)

だから、同窓会にのこのこ出るような人間が「リア充」なわけがない。
そんなの「マイルドヤンキー」じゃん?

ということらしいのですが、僕個人の同窓会でのイメージは、出席者は、おそらくは「マイルドヤンキー」に定義される人ではなくて、かたい仕事で家庭もあって、立派なリア充でしたよ。(これをリア充と言わずして、何を言う?)


そもそも、「マイルドヤンキー」って、リア充でしょ?
違うの?

2014/04/27「マイルドヤンキー限界論」 アーカイブ

以前、「マイルドヤンキー限界論」で語られていたように、「彼らに先がないじゃん?」というのは分かるけど、でも、少なくとも現在が充実しているなら、それって十分にリア充じゃないのかな?

未来が保障されないされないからリア充から外れる、というのであれば、就職していない大学生なんかは、全員が非リア充ということになるわけでして。


リア充に対するイメージの違いが、どうも、しっくりとこなかったな・・・・・。


だいたいにして、ライフ参加者は、冗談交じりで「自分たちは非リア充」という規定しているんだけど、社会人になって三十超えたら、仕事が充実しているかどうかが、その人の人生を決めると思うんですよ。

そういう点からすると、参加者の皆さんは、十分に充実しているように見えて、「えぇい! リア充(古市憲寿)め!」というルサンチマンをいくら見せられても、なんだかな~、と思うところはありました。

2014年7月7日月曜日

ライフ「里山ウェブの時代」外伝を聞き終えて

外伝を聞き終えました。


リスナーの意見では、「里山化は反対」が多かったようで。

そんな中で、新日本プロレス新社長の言葉、「すべてのジャンルはマニアが潰す」が引用されていました。

もちろん、一般的にはマニアが業界を支えているものでして、それはそれで分かっているからこそ出てきた、厳しい名言ですね。


どのジャンルでも、「進化の行き着く先は死」ではないにしても、カルト化していくのはお約束でして、里山化という囲い込みには、先はないねーというのが現実。

でも、このご時世(今に限ったことではないでしょうけど)、囲い込みをしていかないと「お金がね・・・・・」というのも現実。

さて、どうしたものか?

で、ハイブリットという折衷案。
開きつつ囲い込む、つまりはフリーミアムで、どうにかならんかなーということで、徐々に「ライフ」自体について言及されていきます。(しかし、これだけ自己言及な番組も珍しいですね)

僕個人としては、アーカイブを有料でも、外伝の先行配信を有料化でも、いい着地点だと思いますけどね。


で、いつも「お金」と「番組」の関係について話されるけど、今回は、さらに、金銭面以外の裏方の事情なんかも話されて、これはこれで面白かったです。

視界の鈴木さんも、今は関西の大学勤務で、ご結婚されて、お子さんもいらっしゃる。
裏方の長谷川プロデューサーにしても、他にも番組を抱えて多忙。
そんな中で、ライフを続けていくのは大変、というお話。(年齢的にもね)

結局、本放送で、鈴木さんが「根性論の話をしているんじゃないよ」と否定した精神論に戻っていくという、皮肉。


津田さんは「いっそ独立したら?」と、かる~く提案をしますが、鈴木さんにしても、長谷川Pにしても、ライフだけで飯を食べていこうと思っているわけではない。

だから、斉藤さんの「力を抜いていたから続けられた」という分析も、なるほどなーと感心。


真面目な話をしつつ、この脱力感、「ゆるさ」がライフの長所ですからね。

誰かが継承すれば? というお話もなくはないですが、この「ゆるさ」を維持しているのは、司会の鈴木さんの力が大きいわけでして。

マネジメントに成功したとしても、ご本人のモチベーションが低下していく、または優先度が低くなってしまうと、ライフも終わっちゃうのかねー、と、いつかは終わりはあるのでしょうけど、ちょっと残念。

ここらへんは、「音楽で食っていく!」というスガシカオさんとは違うご事情がありますからね・・・・・。


ちなみに、本放送の感想は、こちら。
ライフ「里山ウェブの時代」本放送を聞き終えて

2014年7月4日金曜日

ライフ「里山ウェブの時代」本放送を聞き終えて

今さらながら、2014年06月22日放送の、ライフ「里山ウェブの時代」本放送を聞き終わりました。

スガシカオさんが、
DLでももちろん嬉しいのですが、ぶっちゃけDLだとほとんど利益がないんだ。おれらみたいにスタジオで徹底的に音楽を追い込むタイプは、制作費が全部赤字になっちゃう。CD買ってもらうと、かなり制作費が補えるので、次の作品が作れるメドが立つんだよね。
CD売れない音楽業界の負の連鎖だ
と言ったことを受けての、今回のライフ。


予告編から、「ネットがワクワクしなくなった」ということが話題になっていましたが、確かに言われてみると同感。(ただ、それだけ「日常化」してしまったことなので、致し方ないと思いますが)

「ワクワクしていた時代」を思い返すと、ネットとはちょっと離れるのですが、新海誠さんが「ほしのこえ」でデビューしたことを思い出します。高品質な30分アニメを一人で作り上げたという事実は、けっこう衝撃でした。

パソコンの高性能&低価格化は、ついに生産手段を万人に解放することに成功した! マルクスの夢が、ここに実現したのだ!! ハラショーと、僕個人も驚きました。

しかし、こうして誰もが高性能なパソコンを持つことが簡単になり、さらには発表の場が多く存在している社会が出来上がってみたら、埋もれていた才能が世に出やすくなった反面、コンテンツのデフレ化が促進。

コンテンツを制作する側からすると困ったことですが、コンテンツを受容する側からすると、経済状況に関係なく、平等に手にすることができるという、これまた、「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」というマルクスの夢が実現している!

これで労働から疎外されていた人類は幸せになれる・・・・・と、なっていないのは、スガシカオさんの発言から分かる通り。


そんな訳で既存のシステムがうまく回らなくなった現状で、どうやって、クリエイターに適正な金額を還元していくか? という問題が話し合われました。

この問題って、マスコミでも言われている話で、「雑誌が売れない、新聞が売れない」ので、取材の質の確保し難くなった、なんてことも。


アマゾンやらグーグルによって、低価格への競争が加速する中で、この「質の維持」を、どうするか?

いろいろな事例を出演者の方々が発表していくうちに、最終的には「コンテンツは複製できる」。
でも、「コミュニケーションは複製できない」という意見に集約されていきます。

なんつーか、この話って、地方の先細りするお店に、コンサルタントがするような提案だなーと思わないでも。(「モノ消費」ではなく、「コト消費」で勝負しろってことなんだろうな。現況下において、大企業に対向するには、それしか残されていない証拠でしょうけど)


で、司会の鈴木さんは、これを、どうシステムに組み込んでいけるか? ということに対して、実際に、マネタイズに成功している津田大介さんからのお答えは、
「寝ないで働け!」
というもの。

それを聞いた鈴木さんは、珍しく、ちょっと怒りましたね。
何と言っても「文化系トークラジオ」ですからね。そんな「体育会系」の話をされても、という感じだったんでしょうね。


この「体育会系」な意見に対して、編集者の柳瀬さんは、好意的。簡単に言うと、「お前ら、売る努力している側のことも、考えてくれ」って、ところでしょうか?

それに対して、作る側の、海猫沢めろんさんなんかは、「オレたちゃダメ人間だから、こういう仕事しているのに、営業まで求められても困る」という感じ。


まぁ、なかなか難しい話ですなー。

昔であれば、クリエーターはつくる、営業はそれを売る、という役割が明確。
というか、物理的に、限界があった。

でも、今は、「営業」「コミュニケーション」する手段が豊富にある。

それこそ、極論ではあるけれども、TwitterなりFacebookなり、いろいろ駆使することで、寝ないで必死に営業活動を延々とすることも可能。

クリエーターであっても、ある程度のファンサービスが求められる。そうじゃなきゃ、結局は、グーグルとかアマゾンとかの大企業の手のひらの上で、消耗戦にさらされてしまうよ、ということなんだろうけど。

いいものをつくれば、自然と売れる! なんてものは、幻想でしかないのだろうから、仕方ない側面はあるのだろうけど。


とりあえず、外伝は、まだ聞いてないので、これから聞いてみます。

文化系トークラジオ ライフ

by カエレバ