「在特会」側のマンガが出ているのね。
そうか、そうね。
まぁ、いつかは来る道。
正直、買うのは迷いがありました。
買ってしまうと、「貢献」になってしまうからね・・・・。
が、借りようにも、周りに、そんな知り合いもいるはずもなく。
で、電子書籍で買おうと思いましたが、それは、ない。
仕方なくネットで注文。
優秀なもので、次の日には、到着。
早速、読みました。
・・・・・・・正直、読み通すのは、けっこう辛かった。
よく言えば「宣伝漫画」の優等生。
悪く言うと、「プロパガンダ漫画」のテンプレート。
作者の主張を述べる人間は善人面であり、善人。
作者の主張に反する人間は悪人面であり、悪人。
この通り、橋下徹さんと罵り合いをした桜井在特会元会長も、すっかり好人物に描かれています。(作中では、彼をモデルにした人物は、ちょっと天然だけど、頼りがいのあるリーダーとして描かれています)
まぁ、基本としては、「ゴーマニズム宣言」と同じ。(最近は読んでいないので、今は違うかもしれないけど)
ストーリーとしては、「普通の日本人」である女子中学生が、ひょんなことから(在特会をモデルにしている)ある団体のデモに参加。
そこで知る、実際のデモと、マスコミ報道や大人たちの言動との乖離。
そこから、徐々に、いろいろなことに疑問を抱き、(作者の思っている)真実に近づいていく。
で、徹底的に悪く描かれているのが、「レイシストをしばき隊」・・・・・をモデルにしている団体。(在特会を正義に描いている漫画にもかかわらず、韓国人や在日を悪人に描くのではなく、反在特会が悪役になっているというのは、なんだか不思議ですが)
正直、「レイシストをしばき隊」という名前を聞いたとき、「これ、大丈夫かいな?」と思ったけど、以降の、在特会と隊との泥仕合(と僕は思っています)を見るに、「あぁ・・・・・・、やっぱり」というのが正直なところ。
在特会が、バブル崩壊以後の日本経済の凋落、そして、国際社会における相対的な位置の低下、代わって韓国や中国の躍進を背景に、現在のしょーもない日本は、彼らに原因があるのだという思考の跳躍によって生み出された、と個人的に考えています。
(もちろん、インターネットの普及による容易な情報の共有化、そして情報が開かれているという幻想を抱いた結果としての、自ら望んだ情報しかアクセスしない&信じないというタコツボ化もあるのでしょうが)
が、在特会が、「在日」や「被差別」などに対する疑問点を指摘することで、まるで日本社会全体の問題は彼らに凝縮されているというロジックを持ち得たのと同じで、「レイシストをしばき隊」にしても、在特会は弱者を恫喝する団体であるから、それを排除する為には、あらゆる手段は許されているというロジックを持っていると疑わざる得ないわけでして、それは、僕としては、両者とも、
「うーん・・・・・・」
という、言葉しか出てこない。
ネットの普及による、情報の共有が容易になった結果として、韓国社会における日本へのアレな反応を、目にする機会が多くなったのは事実。
で、あっち(韓国)がクソを投げてくるのだから、こっち(日本)もクソを投げてやろう! という応酬の結果としての、この行き詰まり。
排外主義団体と、(一部の)カウンター運動にしても、まぁ、そんな感じよね。
さて、本作品を読んでいて思い出したことがありまして、それは、2013年に、コリアタウン(鶴橋)にて過激な発言をして、物議を醸した女子中学のこと。
もしかしたら、この漫画は、そこから着想を得ているのかな? と思いました。
中学生がある特定の民族に対して「虐殺」なんて言葉を使ったことも驚きですが、同じ子が「きゃりーぱみゅぱみゅを踊ってみた」という動画をyoutubeにアップしたことにも、ある意味、衝撃でした。
ただし、「踊ってみた」なら、大人になって、
同僚「きゃりーぱみゅぱみゅ、踊ってたよね? 見たよ~」
本人「やめて下さいよ、もう。中学生のころのことですよ。消してしまいたいんですけど、パスワードも忘れちゃって、消せないんですよ」
などと微笑ましい場面が生まれるでしょうが、ヘイトスピーチとあっては、
同僚「鶴橋で、虐殺するぞって叫んでたよね?」
本人「やめて下さいよ、もう。中学生のころのことですよ。消してしまいたいんですけど、パスワードも忘れちゃって、消せないんですよ」
では、済まないだろうな・・・・。
名前も顔も、ばれているから、将来アレよね。
お父さんが、その世界では有名な活動家ということなので(在特会ではないようです)、もう、その名跡を引き継ぐか、親子の縁を断つ覚悟で、過去を否定する転向表明をするしかないでしょうから、まぁ、いずれにしろ大変ね。(ということなので、動画は、まだyoutubeに残っているようですが、リンクは敢えて貼らないでおきます)
で、本作「日之丸街宣女子」ですが(以下、ネタバレ)、現実において活動している(していた?)女子中学生との違いは、親は一般的な職業に就いているということ。
両親は、ゴリゴリな政治的主張を持っている人間ではない。
そんな「普通の」主人公ですが、幼馴染の活動家に巻き込まれることで、街宣活動、及び、彼らの思想に興味を持っていく。
で、まぁ、そんなことをしているのが学校にバレてしまい、さらに、カウンター活動を行っている暴力集団(つまりは、レイシストをシバキ隊のことね)にも身元が割れてしまう。
主人公の通っている学校は、その暴力集団にマークされ、しかも、校長室に呼び出される主人公。
窮地に陥るわけですが、在特会(をモデルにした)団体や、そこに所属する人間の主張の正しさが認められて、最終的には、教師、両親、級友から理解されて、ハッピーエンド♪
うーーーーーーーーん。
在特会の過激なシュプレヒコールは、あくまでも恣意的な編集をされた結果に過ぎない。前後の文脈をちゃんと捉えて欲しい。そうすれば、過激なシュプレヒコールの理由が分かるはずである、としている。(これは、マンガにおいて、そう描かれているけど、現実でも同じ論法を使ってますね)
世の中、まぁ、いろんな主張がございます。
でも、それを主張する為に、「死ね」「ブチ殺せ」「抹殺」(←こういった過激な言葉を使うのは、マンガにおいて、カウンター団体であると描かれていますが・・・・・)、「くせぇぞ 朝鮮人ッ」(←これは、実際にマンガの中で使われていた)なんて言葉を使うのは穏当ではないわけでして。
現実社会においても、彼らの正義を主張する為の抗議活動において、何人か逮捕者を出している。
民事裁判で負けて、けっこうな額の賠償金を払うように命令もされてもいる。
そんな世間一般(この場合の世間には、「政府」「司法」「警察・公安」も含まれます)では認められない活動をしている団体へ、身を投じようとしている中学生に対して、現実社会であれば、教師、親、級友らが、理解を示すわけもなく。
むしろ、ネットでさらされるリスクを考えたら(どうやら、公安にもマークされるようだし)、「やめたほうが、いいよ」とアドバイスする方が、親切でしょうねー。
が、まぁ、この漫画においては、それら社会一般では認められないような行動をしてきた(している?)ことについては語っていない。
また、「くせぇぞ 朝鮮人ッ」というマンガ内での発言にしても、前後の文脈からすれば、大したことではないとされてしまう・・・・・。
だから、まぁ、ハッピーエンドが用意されているわけですね。
物語として考えるならば、そんな簡単に周囲が理解を示してくれるのではなく、級友からのいじめとか、両親との衝突、教師からの有無を言わせない圧力とかを、もっと丁寧に描く方が盛り上がるのだろうけど・・・・・・。
「プロパガンダ漫画」と書いたけど、この本を読んで、「オレ(私)が間違っていた。彼らの行為は正しい!」と転向する人は、・・・・・・そんなに、いないんじゃないかな?(期待とは裏腹に。「ゴーマニズム宣言」は、その点、影響力があったな)
この漫画において、周囲の人間たちが、けっこうあっさりと理解をしてくれているのは、結局、作者や(想定されている)読者の願望が投影されているからなんだろうなぁ。
つまりは、外に向かっているというよりは、あくまでも、内向きな漫画。
自己充足というか、自己憐憫というか。
アマゾンのレビューは350を超えており、さらに、ほとんどが「5つ星」。
現在、もっとも売れている漫画と言っても過言ではない「ワンピース」を見ても、レビューが100を超えている単行本は、そうそうないわけでして。
この物語が、ある種の人たちには、慰めを与え、鼓舞してくれる証左なんだろうけど、レビューを見ても、やっぱり内向きと感じてしまう。
「私達は正しい、誤解されている」という被害者意識だけで、なんで世間一般から非難されているかということに対しては、マスコミが悪い、政治家が悪い、教育が悪い、外国が悪い、という論でもって、すっかり完結してしまっている(内向きに閉じてしまっている)。
この漫画には、主人公の女の子をオルグする幼馴染がいるんだけど、彼は、「陰謀論大好き」っていう設定なんだよね。
これはリアリティを追求した結果なのか、それとも、モデルが存在しており、その反映なのか?
もちろん、作者としては、「我々の主張する在日の問題だけは、陰謀論ではない!」と言いたいのだろうけど、僕個人としては、「なんだ、この自虐?」と思ってしまったよ。
冒頭で、彼ったら、
すでになんて叫んでいるしね・・・・・・。
日本のマスゴミは
中韓に支配されていて
奴らにとって都合のいい
情報しか
報道されない!!
日之丸街宣女子(ひのまるがいせんおとめ) | ||||
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